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商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

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【SNS】思い出せない過去の記憶

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■交流できる人の数を超えるとどうなるか?

私には思い出せない過去の記憶がある。16年くらい前からの3~4年間の記憶。

 

当時、個人でホームページを作って、そこで知り合った多くの人達と、交流していた。毎日毎日が刺激の連続だった。1日に100人以上の人とメールでやり取りをしていたと思う。オフラインでの集まりも盛んにやった。名古屋を拠点に、東京や大阪まで遠征したことも。

 

もちろん、そういう生活をしていたことについて、全く後悔はない。だって、その当時は楽しくてしかたがなかったんだから。

 

そんな生活が数年続き、その後はフェードアウトする形で一線を退いたわけなんだけど、その後で、当時を振り返った時に、とても不思議な感覚を味わうことになった。その刺激的な日々のこと、具体的にどんなことをして誰と、どのタイミングで会ったり、遊んだりしたのかが、記憶がとても曖昧なのだ。思い出せないことがほとんどなのだ。

 

なぜだろうか?あんなに楽しくて、あんなに”交流に”没頭していたのに?

 

そして、私の出した結論はこれだ。

 

ある一定期間の中で(正常な感覚で)交流できる”人の数”は決まっているのだな、と。脳には”キャパシティ”があり、それを超えると、オーバーフローして全てを流してしまうのだな、と。

 

■ひたすら交流し続けた先にあるものとは?

今、巷では大人気のSNS。私が16年前に体験した状況を、一人で、簡単に作れるようになった。私が数ヶ月、半年、1年かけて作った、ネット上の知り合いや友人の数を、たった一夜で作ることもできるだろう。Twitter、LINE、FacebookGoogle+・・・。

 

ただ、よく考えてみて欲しい。その交流という行為が、脳のキャパシティを超えていないかを。脳のキャパシティを超えているかどうか、じつは、自覚が難しい。私も当時、そうだった。中毒症状にかかっている最中だからわからないのかもしれない。

 

そして、これから先、何ヶ月、何年後かに振り返った時に、気づくのだ。あの時、俺は、そこで、何をしていたのだろうか?と。

 

ネットで交流することはもちろん否定しない。私は今でも、ネットを使って、ブログやTwitterを介してコメントやメッセージのやりとりをすることはある。でも、それは、自分のキャパシティを自覚できる範囲で行なおうと心がけている。本当に大切な友人とは、つながり続けているかをいつも気にかけていたい。それくらいの余裕を脳に持たせながら、ネットを使っていたい。脳を限界まで使っていたら、本当に大切な人を失うことにもなりかねない。

 

SNSというサービスを否定するわけではない。魅力的だし、必要な時には使うこともあると思う。ただ、現時点のSNSの仕様は、危うさを感じる。

 

その危うさとは、今日、ここに書いたようなこと。自覚がないまま、脳のキャパシティを超えた交流をすることが簡単で、でも、その副作用については、多くを語られていない。何か別の形で、良くない影響が出るのではないか、ということを心配している。

 

それはプライバシーの問題よりも、もっと深い問題だ。

 

以上。