▼元はてな・GREEのプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。[前編]
▼元はてな・GREEのプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。[後編]
前編、後編とも非常に面白かった。1995年から始まるインターネット創世記の頃から、ソーシャルネットワーク全盛期の現時点までの総括と言ってもいい。
とくに、後編のここの部分は好きだ。
引用開始:
今、分からないことがあればGoogleでいつでもすぐに調べられる。昔の友達ともFacebookですぐにコミュニケーションできる。それ自体は素晴らしいこと。でも、それはあくまで感覚が発達したということでしかない。Googleで調べている人間自身が賢くなったわけではない。インターネットをやっていれば心が成熟していくとか、そういうわけじゃないんです。そこを取り違えてしまうと、「ソーシャルメディアがすべて」みたいな論調になってしまうんじゃないでしょうか。どんなにFacebookで「いいね!」をつけあっても、精神的に成長はしない。むしろ、退化していくかもしれない。
いきり立ってソーシャルソーシャルと言っても、なかなか夢のようなことは起こらないんですよ。そんなに儲かるわけじゃないし、思うような結果が得られるわけでもないし。もっと地に足をつけて考えていくべきだと思います。
:引用終了
Facebookで多数の友人とつながり続けること、それ自体が悪いわけじゃない。ただ、つながること自体が何かを生み出すとか、そんなことは絶対にない。むしろ、無駄に多くの情報が視覚的に飛び込んできて、クリエイティブな思考が停止することはあるかもしれない。
Facebook上は「友達」という単語を使って「つながり」を表現しているが、それは、我々が子供の時から日常的に使っている「友達」とはまったく別物だ。本当の友達は、ネットでつながっていなくても友達だ。例えば、友達同士が、Facebookでつながることで、今までより友情の絆が強くなるか?、と言われたらそんなことにはならない。
Facebookの最大の問題は「つながった先に何があるか」を考えずに、「つながること」に、さも魅力があるかのように見せているところだ。「つながることで失うもの」だってあるはずだ。例えば、使わなくてもよかったはずの「時間」とか。
Facebookをコミュニケーションツールとして使うのなら便利だ。メッセージのやりとり、とかね。メールアドレスが変わっても、意識せずにメッセージを送りあえるし。ただし、自分の思いを表現し、人の思いに触れてみて、そこから何かを生み出せるような、そういうコンテンツか?と問われると、NOとしか言いようがない。リアルな人間関係でコミュニティを作ってしまったので、「本音」よりも「建前」がストリームを埋め尽くすからだ。
だから、私はブログのほうが圧倒的に好きなのだ。自分が書きたいのは「本音」だし、触れてみたいのも「本音」だ。本音に触れられるなら、実名だろうか匿名だろうが、どうでもいい。
はてなブログの機能にも満足している。コミュニティがあるわけではないが、コミュニケーションが成立していて、クリエイティビティを刺激する。
スターをつけていただけたり、私の書いたテキストをなぞっていただけたり、そういうみなさんの「暖かさ」が私に確実に届いている。
以上。