週末にバスケットをやっている。草バスケって言えばいいのかな。 バスケットが好きな人が老若男女問わず集まって、 楽しくプレーする。試合に勝つことではなく、楽しく、ケガをせず、女性に優しく、っていうルール。私はこのチームが大好きだ。
メンバーは固定ではなく、その日集まった人で、(背の順で)チーム分けをして紅白戦を行うというスタイル。この「ゆるさ」がまた良い。
だから、同じバスケチームのメンバといっても、じつは、半分くらい名前を知らない。名前も知らないし、年齢もはっきりわからないし、どこに住んでいるかも知らない人が多い。どこの会社、どこの学校出身とか、もちろんそんなことは知らない。
それでも同じチームになり、ゴールに向かって汗だくでプレーをする。シュートが入れば、互いにたたえ合う。ハイタッチして喜ぶことも。
この魅力、この熱い思いって何なんだろうか?って思う。同じチームになり、同じボールを追いかけることの、この清々しさと、この一体感はいったい何なんだろうか?
名前、住んでいるところとか、そういうことはどうでも良いと思えるこの感じは何なんだろうか?
それは、「バスケットをしたい」「バスケットが好きだ」という思いを共有した集まりだから、ではないだろうか。
Hatena Blogにも、じつは、同じような思いを感じている。
名前も知らない、どこに住んでいる誰かもわからない。だけど、「ブログを書きたい」という思いは一緒だ。同士だ。同士だと思うから、だから「スター」という仕組みを介したコミュニケーションはとても楽しいと思う。思いを共有しているというコミュニティは、とてつもなく魅力的で、他を圧倒するのではないかとさえ思う。
FacebookなどのSNSが、実名を原則とするコミュニティを作っている。じゃあ、逆に聞きたいが、Facebookは、何の思いを共有しているコミュニティなのか?
おそらく、あのサービスでは、思いを共有することができない。「友達という名のつながり」を増やすことが、目的になっているからだ。
友達を増やせば、自分の投稿に「いいね!」が増える。でも、それがどうした?と思う。「いいね!」が増えて、そして投稿を増やす。その先に何があるのか?
この話に、コミュニティを作る上での大切なファクターがあると思う。「人がつながれば、そこで何かが起きるだろう」と思ったら大間違いで、それがうまくいかないことをFacebookが証明した。
大事なことは、まず、思いが共有できるコミュニティを作ることだ。あとは、つながり方の設計だけだ。Hatena Blogはうまくやっていると思う。スターの仕組みも、テキスト文字をスターに紐付けできる仕組みも、私は好きだ。
以上。