Sakak's Gadget Blog

商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

【雑記】生活そのものをデザインする

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とても感銘を受けた記事。

ソース元:Lecture for Vision Plus 6 in Vienna 8-10. July 1999

“風鈴”という装置のインターフェイスデザインには、一考の価値がある。風鈴の面白さは、それが、音色の美しさそのものを楽しむための楽器ではない点にあります。その傾向は日本の風鈴に特に顕著で、楽器的な性質が、海外のWind-bellよりも低いように思われます。

 

風鈴が表現しているのは、音そのものではなく、「風が吹いている」という事実です。庭に面した軒先に吊された風鈴は、暑い夏の日、軒下を流れる風の存在を伝えます。この時、部屋の奥にいる人は、「ああ、風が吹いている」と、イメージの中で涼を取る。そして同時に、数秒後には部屋の奥へ到達するその風を待ち受け、無意識に肌の感度が少し上がる。風鈴とは、五感とイマジネーションを駆使して外界の情報を享受させる、複合的な「Senseware」の好例なのです。

こういうセンスとか、感度とか、視点とか、ものすごく好き。

 

私がこのフレーズから読み取ったこと。優れたプロダクトデザインを行うためには、プロダクト(この場合、”風鈴”)が持っている機能だけを見ていてもダメで、そこには人がいて、生活があって、そこに溶け込むような「何か」であるべきだ、と。

 

ソース元には、こんなことも書いてある。

 「デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではない」ということ。「インタラクションデザインの究極の目標は、『そのものになる』という経験のデザインである」こと。 

生活にいかに溶けこませるか。生活をいかに豊かなものに変えていけるか。生活という一連の流れのどこかに、すっと入り込むような、そういうプロダクトデザインこそが、望まれているものなのだろう。

 

そして、非常に残念なのがこの記事。

パナソニック、「スマート家電」と連携アプリを本格展開 : BCNニュース

いよいよ末期症状だなと思った。スマートフォン白物家電(エアコン、洗濯機)を連携するとのこと。

 

それは「自分たち(パナソニック)が、自分たちにできることは何か?」を考えて出てきた答えだろう。会議室で出てきそうなアイデア

 

その機能は生活に溶けこむのか?人々の生活をどう変えるのか?そもそも、スマートフォンを持っていない人はこの先いなくなるという前提なのか?

 

「もっと楽になる」「もっと早くなる」「自動で◯◯ができるようになる」

こんな古い感性は、昭和の時代に置いてくるべき。

 

我々は、もっと楽になりたいの?早く終わればうれしいの?全部、自動でやってほしいの?計画停電とか電気が足りないとか、あれだけ騒いでいたのに、外出先からエアコンをONしたりしたいの?

 

おそらく、白物家電については普通の生活をしていて、普通の人がやってほしいと思うレベルについては実現できてしまった。ここから先は、手触りとか、感触とか、時間の使い方だとか、どちらかというともっと人間に寄り添うような、そういう方向へ向かう必要があるのではないか。

 

残念ながら、この「スマートフォン+家電連携」のアイデアでいけると思った会社の人は、風鈴の話の本当の意味はわからないだろう。

 

以上。