ある病院の中で、立ち聞きした話。声が大きかったので話し声がよく聞こえてきた。
子供の体が痛いということで、保護者(母親)が小学校高学年くらいの女の子を連れてやってきた。その女の子はスケートを一生懸命やっているらしい。スケート場の場所が遠いこともあって、練習後に家に帰るのは24時を過ぎることも珍しくないとか。
子供をスケート選手にするべく、必死にサポートする母親。その期待に答えようとする子供。状況はすぐに飲み込めた。
私が気になったのは、その保護者の口から出てきたエピソード。
・スケートの練習の時は、先生に相談して学校を早退させたりしている。
・組体操の練習は、先生相談して、一番上にならないようにしてもらっている。ケガをしたら困るから。(一番下にしてもらっているらしい。)
本当にそれは子供のためになるのか?
ケガをさせないために、ケガをしそうなことをやめるという判断は、正しいのだろうか。メジャーリーガーのイチローは、ケガをしそうなことをしてこなかったら、ケガのない体なのか?
学校を早退させると気軽に言うけど、失ったその時間に学校で学ぶべきことは何もないのか?学校に何しにいっていると親は思っているのか?まさか「勉強を覚えるだけ」とでも?
将来、その女の子がスケートができない体になったり、スケートそのものに魅力を感じなくなった時、その子の人生はどうなるのか?
子供にとって必要なのは経験をすること。親に必要なのは、ただ経験をさせてあげること。経験できることをわざわざ邪魔することでは決して無い。
その子供は「スケートが好き」と言うかも知れない。ただ、その年頃では自分の意志だけで行動できていない。こういう時、多くの親は「子供の願いを叶えるため」という。でも、本当にそれだけか?親のエゴも多分に含まれているのではないか。
学校で経験するべきことは社会性だと思う。人との距離の取り方だ。自分の味方、自分の敵を見分け、その相手との距離をとる。社会に出れば味方もいれば敵もいる。そして、社会に出た時、泣きつく先生はもういない。自分一人で戦うしかない。そのための準備期間。経験だけが自分を強くする。
特定のスポーツだけをいくら伸ばそうとしても、おそらく成績は伸び悩むだろう。さまざまなスポーツを通じて、体の動かし方を体で覚えることが必要だからだ。
組体操で崩れて落ちた時にケガをするような程度のバランス感覚では、スケートでジャンプなんて到底無理だろう。時にはケガしてしまうことだって、1つの経験になるのではないか。体の動かし方を体で覚えるために。
赤ちゃんは、何でも口に入れる。あれは、自分の知らないものを知ろうとする人間の本能からくる動作らしい。子供の感受性は強い。あらゆるものを吸収しようとする。自らの経験したことが、その後の人生に大きく影響を及ぼす。
そんな大切な時期に、大人のエゴで経験するべきことをさせないというのは、ひとごとながら「何かが間違っている」と感じずにはいられなかった。
以上。