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商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

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【雑記】複製不可能なモノの価値が上がる

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■「借りて聴く」と「買って聴く」の違い

レコードの時代の音楽は、(レコード)ジャケットと曲がセットに記憶されているように思う。今でも記憶に残っている懐かしい曲のジャケットをけっこう鮮明に覚えていたりする。

 

CDになってやや小ぶりのサイズにはなったが、それでもジャケットの記憶はある。

 

それがある時を境にジャケットの記憶が無くなる。おそらく1980年代後半から1990年代の前半以降から。CDレンタルが普及し、デジタルコピーが可能になり、CDそのものを買う事が激減した頃からだ。

 

「買って聴く」から「借りて聴く」への視聴スタイルの変化が起きた。「手にする実感」であったり「脳へ印象づけるという刺激」は借りるという行為からでは発生しにくいのかもしれない。

 

■「複製可能なもの」と「複製不可能なもの」の違い

デジタルコピーができるようになり、「レコード・CD・音楽・歌手・アーティスト」=「複製可能なデータ」という認識の変化が起きたのかもしれない。

 

レコードがCDに変わったというのは円盤の素材が変わるというインパクト以上に、複製が可能になるというインパクトの方が大きかった。

 

「複製可能なデータ」にいくら払うか、という価値観で考えた時、CDを買うというハードルは上がった。だからCDを買う枚数が激減した。

 

今後、「複製可能なモノ」と「複製不可能なモノ」との違いは、より明確になっていくと思う。

 

複製可能なモノは音楽も書籍も動画もすべて、複製不可能なものに比べて相対的に価値が下がっていくことは避けられないと思う。

 

では、複製不可能なモノとは何か。

例えば...

 

・紙に印刷された「本」

・図書館やCafeなどが提供する「本、贅沢な時間、落ち着ける場所」

・臨場感、特別な音響システム、没入感、贅沢感を味わえる「映画館」

・臨場感、パフォーマンスを生で味わえる「ライブ」

 

こういうものは複製できないし、できないからこそ価値はあると思う。

 

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■アーティストはファンに何を届ければいいか

CD(デジタルデータ)は、もはやアーティストの表現手段の1つに過ぎないのかな、と思う。CD単体の売り上げが下がるのは必然かもしれない。

 

でも、アーティストにとって悪い話ばかりではない。

 

ファンに何を届けるべきか、何が望まれているか、そこが変わっただけだから。音楽を聴かなくなったわけでもないし、音楽にお金を使わなくなったわけではない。「複製可能なモノ」から「複製不可能なモノ」へ、お金の使い所が変化したのではないか。

 

音楽で言えば、複製不可能なモノの一つにライブがある。CDの売り上げは落ちているが、ライブの売り上げはむしろ上がっていると聞く。

 

実感を得られるものにはファンはお金を落とす。そういう売り方に変えていくべきだし、そういう時代にパフォーマンスを出せるアーティストが伸びていくのではないか(注1)。

 

「実感を得られるモノ」=「複製が作れないモノ、データになり得ないモノ」

 

■まとめ

データが氾濫した昨今、我々の脳は、実感を得たいと本能的に感じているのではないか。複製できないものがあらためて見直される時代がきていると思う。

 

それに気づいた人から消費行動に変化が起き始めている。

 

「やっぱり好きな本は紙でじっくり読みたいよね」とか「図書館やCafeで過ごす時間って良いよね」とか。CDやDVDレンタルで何枚もまとめ借りするよりも「本当に見たい映画を1本・2本映画館で観たり、本当に観たいライブを1回見たほうがいいよね」とか。

 

今起きている変化は悲観することばかりではないと思う。少なくとも我々ユーザーにとっては。サービスの提供側は、今何が起きているかを見誤らないでいただきたい。我々は実感とか体験にはお金を落とす。決して複製できないものだ。

 

ネットが普及し、デジタルデータで我々の生活が左右されるような時代になりつつある時に、ネットにのらないモノ(複製不可能なモノ)が見直されつつあるとは皮肉だよね。

 

注1)

@zepp69さんによると、「ももクロ」のライブを見ると彼女達にハマるそうだ。ポテンシャルの高さを期待せずにはいられない。今のこの時代にとてもフィットしているように思う。

 

以上。