私としては、特に驚く内容は無かったものの、Facebookのプライバシーに関してあまり意識なく使っている人には、もしかしたら刺激のある内容として伝わるのかもしれない。
ここに書いてあるようなことは、脅しでもなんでもなく、想定しうる内容。Facebookだけでなく、Googleでも、他のネットサービスでも共通して言えること。無料で使っている、という意味を間違えてはいけない。私がFacebookを使っていて、かねてから気になっているのは、(いくつかのプライバシー情報を入力しておきながら)お金を払わせてくれないこと。「無料」「払わなくていい」「お金を取らない」ということは、我々から彼らは、お金の代わりに「何か」を得ている、ということを想像する必要がある。その何か、とは「個人情報」「プライバシー」。
本誌は、Facebookのプライバシー情報の扱いについてかなり煽ってはいるものの、事実から逸脱しているとは思わなかった。「Facebookという高い壁に守られているから、Facebookの中は安心だ」と、カンチガイしている人が相当数いる。安心できるわけはない。雑誌中にある例えのとおり、我々は、養鶏場のニワトリだ。毎日、卵(個人情報)を産み落とさせられていて、彼らはその玉子を売って商売しているからだ。Facebookの中の居心地を良くしているのは、我々に良い卵を生んでほしいから。卵がどこに売られているのか、我々は知る由もない。
私がFacebookのプライバシーの扱いに関して、過去に書いたエントリーをつまんで紹介しておく。情報は自分でしか守れない。情報はお金になる。
- 【SNS】情報はタダでは守れない(2011.12.15)
- 【SNS】「仲間を呼び込むこと」と「プライバシーを保護すること」は相反する(2011.12.31)
- 【SNS】Facebookの嫌いなところ(2012.1.4)
- 【SNS】Facebookにとって、友達の友達は、みな友達な件(2012.1.6)