■流れていくコンテンツ
「SNS」(Facebook、Google+、LINE、Twitter...)と「ブログ」では、投稿されたコンテンツの賞味期限が違う。ブログは、サービス終了まで賞味期限は続くが、それ以外のSNSサービスは、おそらく24h程度(私の感覚で)。
賞味期限の長さの違いは、投稿したコンテンツが、そのサービス(ストリーム、タイムライン)上で「流れていいく」or「流れていかない」の違いである。ブログは、カテゴリ別に蓄積されていくし、検索という手段によって、時系列の関係を無視して、すくい上げられる。そこにとどまり続ける。TwitterやFacebookのように、流れて消えていくようなことはない(実際、データは残っているのだろうが、検索されやすいように保存されていないということは、流れて消えていくのとイコール)。
「流れていくもの」と「流れていかないもの」の違いは大きい。
どちらが良いとか悪いとか、そういう議論ではないことはわかってる。ただ、ネット上で、「流れていくとわかっているもの」に対して、どれだけ「自分の思いを込められるか」「自分の貴重な時間をかけられるか」というのは、考える余地は十分にある。
■責任と緊張感
「流れていかないもの」というのは、賞味期限が続く限り、コンテンツに対して、一定の責任を伴う。1年後、2年後になって、そのコンテンツ(ブログ記事)に関して問い合わせがきたり、反論されたり、訂正を求められたり、そういうことも十分考えられるからだ。
それでも、私はブログというスタイルが好きだ。自分で書くのも好きだし、誰かが書いたものを読むのも好きだ。
責任も伴うが、その緊張感というフィルタを通してアウトプットされてきたものは、一定以上のクオリティが保たれていると思うから。
テキストの文字数が長いか短いかの差ではなく、緊張感の差なのだと思う。
緊張感のないものに触れていて、面白いと思える時間はそう長くは続かないだろう。
ネットにつなげている時間の中で、SNSに多くを費やしている人たちには、この記事の意味がなかなか伝わらない。
SNSに多くを費やしている人たちのやっていることが間違っているわけではない。緊張感なんて味わいたくないと思っているのだろう。
ネットという同じプラットフォームにいるのだが、ブログとSNSでは「やっていること、やりたいことが違う」という理解が正しいのかもしれない。
以上。