■「2,3割の喜び」の意味
▼金本涙の引退会見 21年間の現役に別れ:プロ野球(CHUNICHI Web)
野球には興味がない私だが、彼の引退記者会見は印象深いものだった。私が注目したのは、この部分。
引用始め:
野球とは何だったかと問われ、「長嶋さんじゃないですけど、人生そのものですね。野球を10歳の時から始めて、7割、8割がしんどいことで。2割、3割の喜びというか充実感しかなかった」。
:引用終わり
とても「サラリーマン」的な言葉が出てきたのが印象的だった。「私は三度のメシより野球が好き。でも、体が動かないので引退します。」みたいなことを言うのかと思っていた。
この「2,3割の喜び」ってとても大事なことだと思う。
サラリーマン生活は、おそらく、真面目にこつこつとこなしていけばやり過ごせる(なかなかクビにはならない、という意味で)。成功もしないが失敗もしない、という生き方だ。ただ、そういう生き方では「つまらない」と感じた人が、仕事の中で「2,3割の喜び」を見いだせた時、それ以前とその後で、仕事というステージの景色が大きく変わる。
■「得意」より「面白い」という感覚
「この仕事は得意です。」と人に言えるレベルがあるとする。そこがMAXなのかと私は思っていた。じつは違っていた。「この仕事は面白い。」が MAX であることを、会社生活を通じて知った。
「面白い」と言えている人と言ったことがない人の差は歴然だ。目の輝きがぜんぜん違う。
与えられてこなしていく仕事に面白いものは少ない(ほとんどない)。だけど、やりようによっては、自分が「面白い」と思えるものを仕事にねじ込むことができる。周りを理解させ、納得させ、結果を示すことで、その面白い仕事を増やすこともできる。簡単ではないが、できる。
金本選手は、しんどいトレーニングの中に、自分が「面白い」と思えるものを見つけて、「2,3割の喜び」を感じていたのかな?と勝手に想像した。私自信がそうだったから。
彼と同じ時代を生きてきたので、余計にそう感じたのかもしれない。
「自分がやりたいと思う仕事につきたい」と若い人は思うかもしれない。「仕事が面白ければ、楽しく仕事ができてさぞかし気分がイイだろうな」と思うかもしれない。
間違ってはいけない。
与えられる仕事が面白いなんてことはない。面白いことを仕事にするだけだ。
以上。