今日は、たくさんおしゃべりをした一日だった。
普段は、メールやSNSのメッセージでしかやりとりしていない人と。
おしゃべりは、やっぱり良い。メールで伝えることができるのは、一方的な連絡だけだ。人間がコミュニケーションを取る時に、いかに五感を駆使しているのかが、よくわかる。相手の目をみたり、仕草を見たり、そういうことを感じながらのおしゃべりは、刺激的だ。
手書きの手紙はメールへ。
紙の本は電子書籍へ。
携帯電話はスマートフォンへ。
これは、従来のモノを置き換える進化なのだろうか?
よく考えると、手紙も、紙の本も、携帯電話もなくならない。なくなるだろうと思われていたかもしれないが、無くならない。
なぜか?
それは、置き換えられない「何か」があるから。利便性が上がっても、質が上がっているとは限らないから。
社会は、利便性が上がる方へ誘導しようとする。
でも、利便性が上がることが全てなのか?
手書きの文字の良さは?封筒や便箋を選び、切手を選び、宛名を書いて、封印して、ポストに投函するまでのプロセスは不要なものか?そのプロセスを経ることで伝わるものってないのか?相手に届けるために2日かかってしまう手紙は、1秒で相手に届くメールより、道具として劣っているのか?
紙の本の手触りは?匂いは?経年劣化して色あせていく質感は?
4インチを超えるような大きなガラスの板が、電話機として使うことに適しているのか?
周りに流されない生き方をしたい。周りに流されていない人はカッコイイと思うから。それが他の多くの人と違っていたとしても。
何が本質で、何が正しいのか、自分の意見は持っていたい。
新しいものを取り入れるのもよし、古いものの良さをあらためて見直すのもよし。
ただ、それが、自分にとって何をもたらすのかを常に考えていたい。
以上。