Sakak's Gadget Blog

商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

【ネット全般】気持ちをデジタル文字で表現できるのか?

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携帯電話が普及しきったことの最大の変化は、誰もが(電子)メールを出せるようになったことだろう。とても便利になったように思えるかもしれないが、私は少しの不安も抱いている。

 

メールの機能自体をダメ出ししたい訳じゃない。「そもそも人は自分の気持ちをデジタル文字で表現できる能力はあるのか?」「人間の能力がツールに追いついていないのではないか?」という不安だ。

 

特にそう感じているのは、自分の親や兄弟と電子メールでやりとりをする時。電子メールの文字から相手の気持ちを読み取ることに(私が)疲れてしまうのだ。だから私は親や兄弟から長めのメールであったり、意図が汲みとりにくい內容があると、すぐに折り返して電話をする。そして、そこで初めて相手の温度を感じることができる。

 

メールを送った相手(親や兄弟)は、私が気持ちを「汲み取ってくれている」と思い込んでいるようだ。メールを送りつければそれで満足しているのかもしれない。「それは違う、(メール自身には)気持ちをのせるような機能はないんだ」ということを彼らにぜひ教えたい。

 

仕事でも同じ。2,3度やりとりを繰り返して「このままでは話が前に進んでいきそうにない」あるいは「相手が少し怒っているかも?」と感じると、すぐに電話をする。さっさと電話して相手の温度を計る。

 

デジタルの文字を使ったメールでのやりとりは、例えるなら「色のついていない塗り絵」のようなものだ。輪郭はわかる。あらすじはわかる。でも色がない。温度がわからない。気持ちが伝わらない。とても怒っているのか、少し怒っているのか、そうでもないのか、とにかくよくわからない。だから、最悪値でシミュレーションしながら読む。そうしておけば、大怪我はしなくてすむが、やっぱり疲れる。けっきょく電話に頼ることになる。

 

やりとりする相手のスキルによる差も大きい。そもそも、スキルの高い人はメールに長文など書かないと思う。疲れるし誤解を生むし。

 

たしかにメールは便利なツールの1つだ。でも、メールだけで全ては回らない。ましてや、気持ちを相手に伝える要素が大きくなればなるほど、役立たずなツールだ。それはメールにかぎらずメッセージ機能であろうがSNSだろうが、何でもそう。デジタルの文字が表現できることの限界だから、だ。

 

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昨日のブログ記事(CMのクオリティは落ちていない。)のコメント欄にも書いたのだけど、情報の発信側(メールの書き手側)のクオリティが、決め手になる。「このメール内容で、この文字数で、この言葉遣いで、果たして相手に気持ちが伝わるのだろうか」ということを、(メールの書き手側が)どのくらい一生懸命考えたか。それが全て。おそらく、そういうことはいろんな経験から学んでいくものなのだけど、その経験値や能力が足りないと、結果として、受け手が困ることになるし、やりとりが失敗に終わる。

 

新しいネットサービスが次々に出てきて、新しい電子デバイスが手軽に買えるようになり、ネットにつなげる敷居はどんどん下がっている。こうして技術は進化しつづけているが、人間の能力が追いついていない。まずは「人間の能力の限界」と「ツールの機能の限界」について、我々はもっと知らなければいけない。

 

以上。