■細くて儚いつながり
雪見さん(id:snowy_moon)の書いた記事を読ませてもらって、刺激をもらったし、さらに思うところがいくつかあった。
「細くて儚いつながり」だからこそ、大切に思うという部分はたしかにある。そのつながりを大事にしたいとか、人に優しくありたいとか、せっかく見に来てもらったんだから、少しでも心に引っかかるものを伝えたいとか。毎日、仕事場で顔を見合せている人や寝食を共にしている家族には、なかなかそういう緊張感では接していないからね。もちろん、仕事場の人や家族には安心感という他に代えがたいものがあるのだけど。
遊びの中で、こういう緊張感や感動を与えてくれるものというのは、他にそうそうないな、と思っていて。だから私はブログをやっているのかな、と。
■ブログの味を知っている人・知らない人
ブログをやったから初めて知ることになるこの感覚は、知っている私としてはとてつもなく魅力的であるのだけど、逆に言うと、味わったことのない人は理解しがたいだろうなとも思う。味を知っている人と知らない人が共存する世界が、これからのネットの特徴なのかな、、、と。
「Facebookの中だけで発信している人」と「ブログというオープンな場所で発信している人」とは、やっぱり知っている味の厚みが違う。Facebookという檻の中にいると、危険も少ないが旨みも少ない。おそらく、その「旨み」の意味が、Facebookの中で遊んでいては気づかない。
■ブログを書いている人の気持ち
(インターネットは)みんなが楽しくやっていく、という性善説的な考えだけでは(残念ながら)やっていけない。でも、ブログの味を知っている人は例え嫌な気持ちに陥りそうな出来事が起きても、きっと、また立ち上がれるんじゃないかと思うんだよね。
それはなぜかというと、ブログの味を知っているから。ブログでつながることができた人たちや応援してくれる人たちの存在があるから。ブログを書いている時の自分の高揚感とか、書いた後の満足感とか、褒めてもらった記憶があるから。きっとそういう「味」が力になるから。
やっぱり、味を知っている人と知らない人との差は大きい。今日も私はその味を噛みしめながらブログを書く。
以上。