■指導者の資質の低さ
▼朝日新聞:「私たちの声、内部で封殺」女子柔道選手側の訴え全文
この文章を読んで、選手たちの質の高さを直感した。自分たちの置かれている状況をきちっと理解でき、問題点を分析・指摘できている。そして現状を打破しようと行動を起こしている。柔道というスポーツの世界で日本のトップにいる彼女達が、人としても非常に能力が高いことがはっきりわかった。
この文章を読みながらだんだんと状況がつかめてきた。こんな頭のいい選手達に、体罰や暴力という手段を使って教えることって、とても愚かなことじゃない?体罰や暴力を使ってしか指導ができないということは、その指導者の資質が低いから、でしょ。指導者として恥ずべきことだよね?「手を挙げることでしか君たちに伝えることができませんでした、辞任します」という引き方が正しいでしょう。
■体罰ではなく論理的な説明で導くべき
「園田監督1人に責任を負わせるのはどうかと思い、強化の最高責任者である私が辞めるのが順当と考えた」→俺は悪くないけどね、って気持ちが透けて見えるようなコメントですね。たぶん、今回の出来事だって、体罰が行われていないかどうかの実態調査だけを行い、「もうしません」「再発防止に努めます」みたいなコメントを出して逃げ切るつもりなんだろうね。
「もうしません」じゃないんだよね。体罰という方法を使わないと伝えられないという表現力の乏しさ、資質の低さについて、全柔連がどう考えているのか。そこを聞きたい。でも、そういうことは一切言わない。園田監督を続投させようとしたという事実は重い。つまり全柔連は園田監督の(指導者としての)「表現力の乏しさ、資質の低さ」を問題視していない。ということは全柔連の役員全員がそもそも「資質が低い」と私は思ってしまうのです。
「指導者の資質が低いから体罰という方法でしか指導できていませんでした。」っていうところからスタートしないと、何にも変わらないよ。「もしもの時の駆け込み寺」を作ることも必要だけど、そもそも論として「指導するってどういうことなのか?」ということをみんなで考える時期に来ているのではないかな。それが、プロスポーツだけに限らず、アマチュアスポーツも同じ。高校生の部活もね。
指導するということは、ある目的地までの手段を提示できることだよね?限界を感じている選手がいたら、そこで「突き倒して奮起させる」的な手法ではなく、「今の君なら、こういうアプローチはどうだろうか?」とか「こういう基礎体力を強化することでこの壁を超えられる」とかを論理的に説明することが指導じゃないのかな?体罰っていうのは、けっきょく、頭のいい「指導される側」が頭の悪い「指導する側」にやられてしまう構図なのではないかな?
■何かを犠牲にしなければ勝つことはできないという誤った考え方
▼為末大さん@daijapanの「【犠牲と許しと日本人】について 成果を出せない時、人は犠牲で許してもらおうとする」 - Togetter
為末さんのこの一連のツイートも共感する。
そして、この言葉が特に好き。
最高の戦略は努力が娯楽化する事。そこには苦しみや辛さという感覚はなく、本人は全体を楽しいと感じている。苦しくなければ成長できないと感じている自分をまずは許す事から始めるべきだと思う。人生は楽しんでいい、そして楽しむ事自体が成功と言える。 by 為末大
「全体を楽しいと感じている」というフレーズが特に好き。そう、指導者は「全体を見せる」ことも大事な仕事なのだと思う。なぜこの練習をするのか、ということを論理的に、説得力のある表現方法で説明できる義務が指導者にはある。
為末さんも、連続ツイートの中で書いていますけど、日本は「つらい練習」「過酷な練習」を美談にしたがりますよね。そういう「つらさ」とか「忍耐」とか、日本人は好きですよね。体罰を叩きまくるマスコミだって、オリンピックが始まると、試合直前の「煽りのビデオ」では過酷な練習風景を映し出すじゃないですか?「つらい練習」⇒「だからメダルが取れた」みたいな絵を欲しがりますよね。捏造ギリギリな手法を駆使して。マスコミだけじゃなくって、見ている視聴者の意識の中にもそういう部分があるんでしょう。なんか大人は身勝手だよね。矛盾している。
そういうのが、体罰がなくらない理由の1つとしてあるんじゃないかな。そういう「大人たちの矛盾」に選手や子供たちが気づいているんですよ。
犠牲で対価をもらうという考えの根底には、辛さや苦しさと成果は比例するという思い込みがある。でも、価値を生む事は実は辛さとは関係がない。成功者はみんな犠牲を払っていると思っているけど、実際はそうであってほしいと願っているだけで、要領よく成功した人もいる。
— 為末 大さん (@daijapan) 2013年2月4日
■意識を変えることから始める
今やらないといけないのは、意識を変えること。その上で組織を変えること。子どもたちの声に耳を傾けること。自分たちがやってきたことの上に未来があるなんておもっちゃいけない。体罰が黙認されてきた過去の時代は間違っていた。まずはそこからだね。
以上。