■学ぶこと、知ること
▼Life is beautiful: 日本の大学生はなぜ勉強しないのか
「勉強」ってしないとダメですかね?私は勉強が嫌いでした。中学から高校、大学と進むに連れて、どんどん嫌いになっていった。とにかく我慢してやっていたという印象しかない(一部の好きな教科を除く)。今でもテスト勉強というのは本当に苦手です。
「勉強を好きになれ」というのは難しいと思う。「好きなものを見つけて夢中になれ、打ち込め!」と言うのは簡単なんだけど、実際にそうさせるのも難しい。
それよりも、まず「学ぶこと」「知らないことを知ること」が好きになる、という感受性を育てることが大事だと思いませんか?学ぶことに積極的になれるかどうか、ということです。学ぶことに積極的になるための土台ができれば、放置しておいても勝手に学びますし、知ろうとしますしね。
こういう話を大学だけに押し付けることには無理がありますね。
■教育ではなく、遊び
▼為末氏「体罰はドーピングに近い」 - SANSPO.COM
ここで、為末氏が「スポーツを教育の一環と捉えるのではなく、”遊び”というのが欧米の常識」と主張しているのですが、これに私も賛同するんですよね。
勉強の話も同じじゃないかな、と思うんです。「教育」となると、楽しいはずのスポーツが時につらく、苦しいものになる。「何を目標にしているのか?」ということが大事なんですね。
人の能力が高まる時というのは、誰かに「させられた」時ではなく、自ら「学ぼう、知ろう」とした時なんだと思うんです。だから、最初に紹介した記事「日本の大学生はなぜ勉強しないのか」の指摘にあるような「大学の卒業を難しくさせること」では、本質的には変わらないのだろうな、と私は思うんです。おそらく、要領の良い人間(勉強が得意な人間)と要領の悪い人間(勉強が得意な人間)とにフィルタリングされるだけで、今とあまり変わらないかな、と。
■能力を高めるために何が必要か
私が「学ぼう、知ろう」と自然に思えるようになったのは、恥ずかしながら30の半ばを過ぎていました。10代、20代の頃は、自分の考えや思いに自信があった。それがじゃまして、他を受け入れる寛容さを持ちあわせていなかった。今は違う。自分に知らないことがたくさんあることや、(自分も)間違った考えを持つことに気づいた。だから、人の言うことも聞くし、受け入れるし、知らないことはどんどん知りたいと思う。知ること、学ぶことは楽しいと思う。
私がもし自分の子供に何かできるとすれば、「勉強しろ」と叱ることではなく、「知ること」「学ぶこと」がいかに楽しいかを目の前で見せること、なんだろうな、と思う。
高校時代に部活でやっていたバスケットより、社会人になって、趣味でやっているバスケットのほうがずっとずっと楽しい。もっとうまくなりたいと思う。能力を高めるために何が必要なのかを体で感じてます。
以上。