■ブログ論を読んで
▼やっぱり「日本人にはブログより日記」なのかも - カイ士伝
こちらに書いてあるブログ論を読ませていただいた。賛同できることと、私の考えとは違うなあと感じることがあった。
賛同できたこと:
・「別にブログは終わったわけでもなくただ淡々と世の中に浸透していっただけで、新しいもの大好きなソーシャル界隈の人たちが「次はTwitterだ」「次はFacebookだ」って煽っていただけの話だと思ってる。」
・「自分のコンテンツとして蓄積され、日付やカテゴリーで管理したり、自由に検索できるブログと違い、情報がどんどん流れていくFacebookやTwitterでは自分の情報を後から追うのが非常に難しい。」
私の考えとは違うこと:
・タイトルつけるのがめんどくさい
・反響がない
・めんどくさい
・やっぱり日本人にはブログ
■手軽さが本当に必要か?
これを読んで思ったことなんだけど、そもそも、誰しもがブログというものを使って発信する必要はないんですよね。もっというと「次にブログが来る」とか聞いても、(私としては)別に来なくていいし、と思う。ブログというのは、やっている側から言わせるとすごくコダワリのある場所であって、この場所を作り上げるのが楽しいわけね。他の人とは違う、自分の居場所なわけです。
自分のコダワリのあるものを作るときに「めんどくさい」っていう言葉は私の中にはないんですよ。手間ひまかかることを、やりたくてやっているのだから。そこの敷居を下げて、誰でもブログに手を出しやすくした結果、何が起きますかね。画一化された、とてもつまらないブログが乱立するでしょうね。FacebookやLINEのやりとりが、ブログの1ページになるんだと思いますよ。
■ブログへのハードルはもっと高く
「ブログへのハードルを下げるにはシステムはどうすればいいか」ということを言及されていますけど、私としては、むしろ、ハードルをもっと上げても良いと思っています。ハードルの高いブログサービスがあってもいい、と。そういうサービスがあったらもしかしたらそこにトライしたいと思うかもしれないし、自分がそこに参加できなくても、読んでみたいと思う。
趣味や思考や価値観の近い人が集まって、少しだけクローズドな雰囲気もあるブログサービスがあってもいいんじゃないか、と思うわけです。ハードルを下げるという考えとはむしろ逆です。
低いハードルなら、TwitterやFacebookやLINEや、そういうコミュニケーションすることが中心のツールでやっていただければよい、と。
■コダワリ
これからの時代というのは、「アクセス数」とか「出会いの数」とか「いいね!の数」とか、そういうものではない「何か」が来るんじゃないかと思っています。今のSNS系サービスとは対局にあるもの。「気持ちよさ」って、「いいね!の数」では計れないものがあるでしょう。そこを無視できない。
今の時代のSNSって、私は落ち着かないんですよ。個人的には、じっくりと物事を考えられる自信がない。つねに波の上に浮かんでいる感じ。自分に主導権がないのがストレスになる。
ブログがいいのは、落ち着いて考えられること。書きながら気持ちが落ち着くし、書きながらも考えていて、書きながら新しい考えがうまれることもある。
そうやって、みんなのコダワリが集まったサービスこそが魅力をもつ。サービスに参加する人のハードルを下げて、大勢の人が押し寄せてきて、とたんにつまらなくなるサービスを(みんなは)何度も見てきたでしょ?みんな、そろそろ気づこうよ、っていうのが私の結論です。
最近の私は、好きな写真が撮れた⇒ブログを書こう、みたいな流れになっているんだけど、けっして手軽さとかではないですよ。手間ひまはかかります。その理屈でいうと、「好きな写真が撮れるまではブログは更新しない」ということになりますしね(笑)。
でも、それが楽しいんです。それがコダワリです。それがブログの醍醐味です。
以上。