Sakak's Gadget Blog

商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

【雑記】誰かの記憶に残るモノ

OASYS21

記憶

ブログで文字を綴ることから少し引いて、考えてみた。

 

自分の綴ったテキストや写真が、どこかの誰かの目にとまり、そしてそれが(いつか)どこかの誰かの記憶に残るようなモノになったら、うれしいよな。。と。漠然と思った。

でも。

 

どこかの誰かの目に止まることはあるかもしれないけれど、どこかの誰かの「記憶に残る」というのは、とてつもなく大変なことなんだよな、と思う。そんなことを狙ってできるような腕は私にはない。

 

でも。でも、いつか、そうなったら良いよなって思うんですよ。

 

だから。

 

だからこそ、ブログも写真も、もっとうまくなりたい。もっともっと、ひとつひとつを丁寧に作りたいと思う。

 

考える事、表現手段、まとめ方・・・やれることはいろいろある。すべてに対してこだわって、作りたい。手間暇とか、変なところに時間をかけるとか、納得いくまでアップしない、とか。もう、他の人からみたら「何でそこなの?」と言われてもよくて。全ては自分のために。 

 

楽しさって、もうそこにしか残ってないんじゃないかと思えてきたので。

Meieki

価値

本当の意味で、ネットは大量消費の時代になったと思う。

 

毎日、毎日、大量の文字を目にしますよね。ニュース記事とかブログ記事とか。そんな中、ブログを書く人も、写真をアップする人も大量にいるわけでしょう。高機能で高性能なレンズを積んだカメラがそこらじゅうにあるわけで、誰でもそこそこの写真が撮れてしまう時代になった。

 

そこそこの写真、そこそこの文章、そこそこのブログ。そこそこで良いなら、誰でも簡単にできちゃう時代。ネットの中を動き回れば、リアクションももらえるわけだから、結果として数字も作りだせるわけで。とにかく、数を稼ごうと思えば、誰でもそこそこできるのですよ。

 

だからこそ逆に、これからは「数では計れない価値」が、相対的に上がっていくんじゃないですかね。

消費

デジタルデータで交流するようになって、アプリケーションやらがどんどん進化していくと、交流できる人の数が無尽蔵に増やせて、気持ち良さが無尽蔵に増えていくとカンチガイするじゃないですか?そんなことは絶対なくて、むしろ、飽きるし疲れますよね。

 

交流できる人の数も、読めるブログの数も、限界がちゃんとありますよ。大事なことは、限界を決めることじゃなくて、何が大切かをもう一度きちんと考えることだと思いますね。大勢の人と、広く薄く付き合うのがやりたかったのか、自分のことを理解してくれている人が、とってもとっても大切だったのか、とか。あるいは、ブログを作ることにもっと没頭したかった、とかでも良いし。

 

いろんな限界を超えた先に何があるか。気づかないうちに、きっと少しづつ何かを失っていることってありますよ、きっと。

 

大量消費の時代だからこそ、大量に消費されない何かにコダワリたいし、大量に消費されないモノになるには?ってことにコダワリたいんですよ。それには、まず自分が目の前のものを大量消費しないことを実践しようと思ってます。

 

こんなことを漠然と考えてました。

 

以上。