Sakak's Gadget Blog

商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

【雑記】ブログは何もしてくれない

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「ブログとは何か」的なことを過去にときどき記事に書いてきました。そのことへの、私自身へのアンサーとして「ブログは何もしてくれない」という記事を書いてみようと思います。

ブログが何かをしてくれるわけじゃない

ブログという存在それ自体は、きっと何もしてくれないんだと思う。

 

何かをしたい、何かを表現したい、気分を上げたい、同じ思いの誰かとつながっていたい、そんなキモチが自分の中に存在した時に、そっと背中を押してくれるような、そんな存在なんだと思う。ブログというものは。

 

だから「ブログをやっていたからすばらしい友達とつながることができた」とか、「すごく気分の良い体験ができた」とか、言い方はいろいろあると思うんですけど、それはそもそも自分自身の中にそういう思いが存在していて、ブログがキッカケになったに過ぎないんだろうな、と。

 

だから、ブログが何かしてくれるものじゃないと思う。ブログは何もしてくれない。

 

ただし、ブログはキッカケを作ってくれるし、背中を押してくれるし、上がってきた気分をより上げてくれることもしてくれる。

 

何もしてくれないけど、うまく操れば、最高のツールです。使わないのはもったいない。

 

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カメラが何かをしてくれるわけじゃない

ブログサービスの話と、写真の話と似ているかな、と思います。

 

カメラを手にしても、持ちださなければ、写真は撮れない。そういう気分にならなければ、撮れない写真というのがある。そういうことを知らなければ、気づかない瞬間というのがある。

 

つまり、カメラを持つことがゴールではなく、むしろスタート地点に立ったに過ぎない。

 

自分の納得のいく写真が撮れる時とそうでない時がある。テクニックの問題よりも、自分のキモチの問題で左右されることが多い気がする。

 

目の前に広がる風景にカメラを向けて、ただシャッターを押しているだけのように見えるけど、その被写体に対峙しているのは、自分のキモチであり、そのキモチを通して出てくるものが写真なんじゃないだろうか。

 

その人の思慮深さとか、価値観とか、経験とか、そういうものが写真からにじみ出てくる。だから、同じ場所で似たようなカメラを持っていても、写す人が違うと別の写真になる。

 

カメラは何もしてくれない。何もしてくれないけど、うまく操れば、最高のツールです。使わないのはもったいない。

 

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SNSが何かをしてくれるわけじゃない

SNSの利用者が増え、スマートフォンの利用者が増え、「交流する」ということそのものが話題の中心になったりする。

 

「交流することで生まれる何か」はたしかにあるとは思うけど、「交流しすぎて失う何か」も確実にあると思う。

 

個人的には、交流する人の数にはそもそも限界があると思っており、デバイスやサービスが高性能になったとしても、ふつうに日常生活を送りながら「交流できる人の数」の限界値は変わらないと思っている。SNSをやっている友人・知人を眺めているかぎり、ほとんどの人がその限界値を超える使い方をしているようにしか見えない。

 

必要な時に、自分が手を伸ばした人とだけつながれば良いと私は思っており、必要以上の交流は、自ら排除できるようにしておきたいと思う。

 

その根底にある考えは「サービスが私に何かをしてくれるものではない」ということ。ブログサービスがそうであるように。SNSが私に何かをもたらしてくれるものではない。あくまでも、自分の中にある何かについて、背中を押してくれたり、キッカケが欲しい時に、そのキッカケを広げてくれるに過ぎない。

 

おせっかいなSNSの機能が、人を運んできてくれることがある。何十年ぶりに(音信不通だった)友人と再会するキッカケを作ってくれた、とかね?それはたしかにうれしいことではあるのだけど、そういう出来事があるから、だからSNSをやるんだっていうキモチには私はならない。出会うべくして出会う人とは、いつかどこかで出会えるはずだと私は思っていて「SNSをやっていなかったら出会えなかった」ということがあったとしても、私は後悔はない。

 

何を主体で考えるか

主体はあくまでも自分であることは、ときどき思い出したい。サービスやデバイスが、何かをもたらしてくれるものではない。サービスやデバイスは時代が生み出したものであり、時代が変われば変化していくけど、最後まで変わらないのは自分という存在。自分と対峙する、自分がどう感じるか、何を思うか、そういうことをちゃんと考えていきたいと思う。

 

ブログが書けなくなっても、写真がうまく撮れなくなっても、それはあくまでも自分の中の問題である。だから、ブログサービスを嫌ってもしょうがないし、カメラを恨んでもしょうがない。

 

以上。