予定どおり撮れた写真もあるけれど、最終的に印象に残る写真というのは、予想外・想定外の偶然から生まれた写真だったりする。
遊園地から家路に着く時の1シーンだったり、目的地へ向かう途中の駅だったり、道端に落ちていた何かであったり、名もない路地裏だったり。
いつもシャッターチャンスを狙っているというわけではないんだけど、頭を空っぽにして、ぼーっとしている瞬間が、逆に自分の感覚が研ぎ澄まされているのかもしれない。
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どういう設定で撮るのか、どういうふうにカメラを使うのかも大事なのでしょうけど、目の前に映る景色のなかで「何を見つけるか」「何を写真に撮りたいと思うか」というのがオリジナリティであって、その人らしい写真になると思うんですね。
カメラ技術が飛躍的に向上し、結果的に「失敗しない写真」が量産されていくなかで、最後まで残っていくのは、そういう「その人らしさ」「自分らしさ」じゃないかと思っています。
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「自分らしさ」とか「個性」というのはよく聞くキレイな言葉だと思うのですけど、それを見つけるまではけっこう泥臭いと思っています。家でネットをやっているだけではみつからないものだからです。
自分が興味をひいたものを見つけて、どんどん出かけていって、時には「これは違うか?」と気づいたり後悔したりすることもあるかもしれませんが、逆に「めちゃめちゃハマったわ、たまらん」っていうものに出会えたりするわけで。
その「めちゃめちゃハマった」ものを、どんどん先に推し進めていった結果、それが「自分らしさ」になるんじゃないのかな。
つまり、自分で探そうとしても見つからないものが「自分らしさ」なんですよね。なんやかんや、いろいろ手を出して、結果として出てくるものじゃないのかな。それが、ここ数年、はてなブログで遊ばせてもらって、私が感じたことです。
商店街も、コンクリート像も、2年前の私に紹介しても「はぁ?何それ?」って感じだったのは間違いないです。でも今は、商店街やコンクリート像に惹かれて写真を撮っている自分の姿は、なんとなく他の人とは違う「自分らしさ」に映ると思うので。探そうとして見つけたものではありませんでした。
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フィルムで写真を撮る方に比べたら、デジタルで写真を撮る私の手法はずいぶん機械まかせな部分はあると自覚しています。ただ、その分、その被写体に触れるまでのアプローチは泥臭くいこうと思っているんですね。商店街に何度も足を運んでみたり、お店の人と仲良くなったり。とにかく、気になる場所には徹底して出かけてみるという。
何が正しいやり方か、ではなくて、自分の好きなことを全力でやって、結果的に「あっ、これが自分らしさってこと?」って、自分でうっすら気づけたら幸せなんじゃないかなって、2014年大晦日に考えました。
1年間ありがとうございました。来年も、引き続きよろしくお願いします。
以上。