ブログというサービスのポテンシャルの高さを思い知っている。ブログというのは「読むもの」「書くもの」と思っていたら、まだその魅力の半分も気付けていないのかもしれない。
■自由という魅力
ブログというのは、何にも「縛られずに」「どう表現するか自由である」ことが最大の魅力なのだと思う。表現手段は自由なのだ。つまり「文章を書かないといけない」と思う必要はない。しゃべってる感じで書いてみる、写真を貼ってみる、自分の描いた絵を貼ってみる、Youtubeにアップした動画を貼ってみる、何でもありだ。そういう意味で、表現手段は無限大。プラットフォームとして、手軽で・無料で・最強じゃないかと思う。
もはや、1つの記事が(ブログというジャンルの)作品であり、エンターテイメントなんだと思う。決してそれは紙にしたためていた文章をデジタル化したものではなく、ブログというジャンルのデジタルコンテンツであり、この世にうまれた新たな「モノ」であり新たな「遊び」なのだと思う。
だから、ブログについての説明で「日記のようなもの」という説明は的はずれな感じだし、「文章を書くのは苦手だから」とためらう必要はない。
■コメント欄という機能
コメント欄という機能も含めて1つのエンターテイメントなんだよな、と感じた記事に出会った。
このエントリーが凄い。何が凄いって、ブログ本文が突出して凄いというわけではなく、コメント欄の内容も含めたうえでの総合力の勝利みたいになっているところが凄い。
本文自体は、家事代行サービスの紹介なんですね。正直言って、この(本文の)内容だけだと私に引っかかるものはありませんでした。
しかし、コメント欄の最初の方「通りすがりの婆さん」のコメントがガツンとくる。
いちいち本当だ、と思う。 だけど、根底に流れる「家事は面倒な嫌なこと」 という考え方が わたしは悲しくて、読み終わったあと残念な気分しか残らなかった。 お金で時間を買ってるつもりが 人生の喜びをお金とともに強奪されてる感じにはならないんだろうか・・・。
この 「通りすがりの婆さん」のコメントを読んだ様々な年代の方が、このコメントに続いて発言をしていく。「若い人がみんなそうとは限らないのでは?」「こういう選択肢があっても良いのでは?」という意見も多くあり。
ブログ筆者は静観したままで、コメントは進んでいく・・・
私自身も、この「通りすがりの婆さん」のコメントを見て刺激をもらった。このコメントに全面的に賛成とか反対とか、そういうことではなくて。「変える時間をお金で買う」ということはどうなんだろうか?お金で買うことで失うものってあるだろうか?とか、(逆に)お金で時間を買えたことで救われる人もいるんじゃないか、とか、そういうことを多角的に考えられるようになった。
インターネットって「何が正しくて何が正しくないかを教えてくれるツールではない」と私は思っている。どういう考え方があるかを気づかせてくれるだけなんじゃないか、と。それでも十分面白いし、刺激になると思うし。
このブログ記事が、多くの人にブックマークされていることに「コメント欄」が一役買っているだろうことは、見逃せない。「通りすがりの婆さん」のコメントのインパクトはたしかに高いのだけど、このコメントを消したりせずにあえて残し続けるブログ筆者も強者だと思う。この「通りすがりの婆さん」が、もし自作自演だったとしたら、それこそ、ブログ筆者は「神」だと思う。
■まとめると
・ブログというサービスを始めるにあたり、「読む」「書く」だけにこだわる必要はない。伝えたいもの、表現したいものを「自由に」流していく。
・コメント欄という機能も含め、ブログというサービスはポテンシャルが高い。何が起きるか予測不能な面白さがある。
以上。