Sakak's Gadget Blog

商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

【雑記】人は誰かの生活と思考を覗き見るのが好きなのだ

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■人は誰かの生活と思考を覗き見るのが好き

私は17年前(1996年)に自分のホームページを初めて作った。最初に手をつけたのが、毎晩の食事をデジカメで撮影し、その写真とともに日々の雑記をのせていくものだった。今で言うブログのようなもの。

 

毎晩欠かさず更新した。何があっても毎晩って決めた。熱を出しても更新。旅行に行っても更新。誰かが遊びにきても更新。自作した料理も更新。彼女が遊びに来て、作ってくれた料理も更新。彼女と別れて独りの食事が続いても更新。テキスト文字にはプライベートなことは詳しく書かなかったが、食事の写真は約束どおり更新し続けた。私が言うのもなんだが、かなり生々しいものだったと思う。

 

その生々しさがウケたのか、そこそこ人気のページになって、雑誌に紹介されたり、オフ会を開いたりして楽しい時間を過ごした。良い思い出だ。4~5年は続けたと思う。

 

このホームページを作りながら私が感じたことは、「人は誰かの生活と思考を覗き見るのが好き」ということだった。潜在的にそういう欲があるのだと思う。

 

何を食べたのか、というその1枚の写真が定点観測のように更新されていくことで、時間を共有している感覚が読み手に生まれ、やがて書き手の生活が想像できるようになる。”そこで繰り広げられる生活”にはドラマがあり、それが写真から読み取ることができるようになる。(聞いた話では)毎日、気になってしょうがなくなるものらしい。作っていた私は、毎日更新しなくてはいけない、という強い義務感・正義感?みたいなものを(当時は)持っていた。

 

■昔も今もこれからも変わらないこと

食べ物の写真が伝える「生活臭」、毎日続けるという「スピード感」、誰かの「思考を覗き見る」ということ。これらの要素は、昔も今も変わらずにみながネットで求めているものではないだろうか。

 

17年前と比べれば、ネットにアクセスする道具も、ネットのスピードも格段に向上している。でも、人が何を知りたがっているのか、という根本的な部分はおそらく変わっていない。

 

「今何をしているか・今日何をしたか(生活臭)」と「何を考えているか(思考)」は多くの人が知りたがっている。SNSやBlogで流れているコンテンツは、そういう内容が圧倒的に多い。

 

なぜかと言えば、それは既存のテレビや雑誌などのメディアでは知り得ることのできない(ネットならではの)コンテンツだから。

 

ネットというプラットフォームだからこそ、知り得るものだから。

 

テレビや雑誌などの既存メディアからネットへ人が動いているのだとすれば、それは、「よそよそしさ」から「生々しさ」へ、嗜好がダイナミックに変化しているからなんだと思う。

 

電機メーカたちが、テレビをネット対応にしたところで人がテレビに戻ってこないのは、そういうネットの本質を理解してないからだ。そしてこのような「人がネットで何を求めているか」という本質的な部分は、10年先、20年先も変わらないだろう。