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【SNS】Facebookはわかりやすさと安心感の先にあるものを示せていない

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よくよく考えてみると、Facebookというのは既存の人間関係をネット上に持ち込もうとした最初のサービスだったのかな?

 

その「わかりやすさ」と「(相手は知り合いだからという理由からくる)安心感」が牽引力となり、多くのユーザを獲得した。Google+に比べて圧倒的に市場に受け入れられている理由もそこだ。

 

ただし、そうやって人を集めることはできたけども、では、そういう理由で集めた人達で作り出す「密閉された空気」は、皆が満足できるような空気になるんですかね?と問いたい。

 

私は、その空気で満足できる人は「限られた人」だと思う。

 

今後しばらくは、Facebookユーザ数は増えていくのかもしれないが、同時に、その空気に満足できないユーザが、おそらく離れていくだろう。問題は、その離れていくユーザの中に、キュレーターの役割を果たすような人(情報通のような人)がいた場合、Facebookに流れる情報の質は全体的に下がり続け、Facebook離れを加速させる一因になるだろう。

 

そもそも、既存の人間関係をネット上に設計する(デザインする)というのは非常に難しいものだ。Facebookのデザインは「わかりやすさ」と「安心感」というキャッチコピーで目をひき、人々をその世界に引きずり込んだ。

 

引きずり込むところまではうまくいったが、その中の空気を新鮮なものであり続けるための準備ができていなかった。アイデアがなかった。アイデアはあったのかもしれないが、うまくいってない。

 

人脈というだけのつながりで集められたネット上の場所で、継続的に「おいしい空気」を吸い続けるのは難しい。趣味嗜好も違うし、ネット上の経験値も違う。ブログやTwitterGoogle+などをバンバンやっている人もいれば、ネット上に自分自身をさらけ出すのが初めての人だっている。

 

ネット上の立ち振る舞いというのは、ネットの経験値に依存してくる。その経験値の差があるにもかかわらず、同じ場所に放り込まれた場合、その中の空気がどうなるかは、想像に難くない。

 

文頭に「その空気で満足できる人は限られた人」と書いたが、その限られた人とは、「ネットの経験値が浅く、Facebookだけでネットライフが完結する人」なのだと思う。別にそれが悪いとは言ってない。それで満足できる使い方の人がいてもいい。ただ、繰り返しになるが、その集まりは、限定的な集まりになるだろう。

 

Google+は、空気を密閉させないために工夫を凝らした。わかりにくいが、よく考えられた「サークル」という機能も実装した。わかりやすさだけを訴求したFacebookとは対照的だ。長く使うためには、こういう機能、こういう配慮が効いてくる。

 

だが、市場での評価は圧倒的にFacebookだ。

 

まあ、市場の評価なんてどうでもいい。私は、Google+を使って、同じ趣味、同じコンテンツを通して語り合える大切な仲間を何人か見つけた。これからもつながっていたいと思う仲間だ。私と同じように、そう感じているGoogle+ユーザは少なくないはずだ。

 

密閉されたFacebookの空気を、Facebook自身が変えることができるかどうかは、見物だ。私自身は、もう、その密閉された空気を吸う気はあまりないのだが。

 

以上。