自分の価値観がずいぶん変わったように思う。
昔は、お金で買える「モノ」を選ぶ時の判断基準のどこかに「大は小を兼ねる」がいつもあったように思う。車なんかまさにその典型的な例。とにかくデカくて速くてそういう車がただ好きだった。パソコンにしてもそうだし、AV機器や電化製品を選ぶ時もそうで、とにかく迷ったら高い方をかっておけば後で後悔はないよね?的な感覚だった。今思えば、そうやって無駄な機能、無駄な大きさ、無駄なエネルギーが生み出されていたように思う。
それがいつの頃からか自然に変わっていった。「大は小を兼ねない、むしろ、小を選んで従来の機能を実現した俺ってちょっと格好よくない?」的な自己満足もあったり。車なんかは、燃費、エコ、無駄のないサイズ感、使用頻度に合った適正なグレード選びをするようになったり。
財布の紐が固くなっていくのとは違うんだよね。むしろ、欲しいモノを買えるようにはなっているはずなのに。おそらく、価値観が変わってきたのだと思う。「時代が変わってきている」ということと、「自分が変わってきている」ことの両方だと思う。
時代がどのように変わったのか、という話の続き。
必要なモノが、ある程度行き渡ったんだと思う。ここからの時代は、今、手にしているモノが適切かどうか見直してみたり、大事に使い続けたり、モノを買わずにシェアしてみたり。時には、モノを手放してみたり。
時代の変化によって、価値観が変わり、消費行動が変わっていく。同じモノを同じように作り続けていても売れないのは当たり前のこと。製造業が厳しい状況にあるのは、根本的にはそこじゃないか、と思っている。
電機メーカが、エコだ、省エネだとさかんにアピールして季節ごとに新商品を発表しつづけるのだけども、そうやってモデルチェンジを繰り返すたびに前のモデルは旧モデルになり、古い製品はやがてゴミになっていくわけでしょう。それが本当にエコなのかな?
電機メーカの人間が、自分たちが魂を込めて作り出した最高傑作の製品だったら、そのモデルを2年、3年、もっと長く作り、売り続けてもいいでしょう?(昔の扇風機は長持ちしたよね)
一例だけども、ダイソンの掃除機とかバルミューダの扇風機とか、少し高くても作り手のコダワリが感じられるモノがいいな。もちろん、自分の生活にフィットするかどうかは大前提だけど。
エコポイントと地デジ化で、壊れてもいないブラウン管のTVがゴミの山と化したのを横目で見ていて、とても気持ち悪いと感じたんだ。なぜ、あんなことをする必要があったのだろうか、と。とくに年配の人達が「液晶テレビに買い替えないとTVが映らなくなる」という脅迫めいた雰囲気に飲み込まれていたのは日本中がどうかしていた。
過ぎたことはしかたがない。もう、マスコミにも国にもだまされない。自分には何が必要か、自分で考える。余計なものは持たない。余計なエネルギーも使わない。自分の目で見て、自分の手を足を動かして、自分で感じて判断していく。自分の感度を上げていく。
そうして、自分に必要なモノだけを手にして生きていく。大は小を兼ねないし、小だって必要がないのかもしれない。
以上。
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