■夢のような時間
タイトルは、SF作家アーサー・C・クラークのクラーク三原則の1つ「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」からのパクリ。でも、一度、ブログのどこかで使ってみたかったんですよね。
昨夜、本当に「あれは夢だったのではないか?」と思うような時間を過ごしました。とにかく楽しすぎて。もっというと、始まる前から、楽しみでしょうがなくて。
モトシさん(id:motosix)、イチローさん(id:ichiro_s)、タカヒロさん(id:takahiro91)、ジェミさん(id:gemini_goldst)と、飲んでました。私が仕事で東京に出かけるので、仕事後に飲みましょうか?ってモトシさんに声をかけ、モトシさんが連絡をとってくれた感じでした。つきあってもらって、うれしかったです。
■腹の底が知れている関係
モトシさんが、イチローさんとタカヒロさんを個々に面識がある以外は、ほぼ全員が初対面。つまり、モトシさんがいない場合、誰ひとり、顔見知りがいない状況。なのに、モトシさんは仕事で少し遅れる、という凄い展開からのスタート。誰もが始めて行くホルモン屋さんに、腹の底は知れているのに顔を知らない男4人がまず集合して、「えーっと、えーっと、もしかしてイチローさんですか?」とか「ケイスケですけど・・・」とか、なんかそんなぐたぐだな感じからスタートで、そうとう面白かったです。ま、2分で打ち解けちゃうんですけどね。
だって、お互いに腹の底は知れてる関係ですもん。
ブログやコメント欄やツイッターでのやりとりを通じて、すでに互いを理解し、通じ合っているもの同士というのは、やはり楽だし安心だなあ、とあらためて思います。実際に会ったからといって、マイナスの方向に変わることなんて、私はないと思っているので。会ってすぐから、本題に入れるのがすごく気持ちよかった。「あの話なんだけどね?」とか、「こないだのこういうやりとりのことってさあ」とか。すごく昔からの付き合いがあったような錯覚を起こす。
互いを理解し、リスペクトし、興味を持ち、その人から刺激を受けたいと思う人たち。そういう人同士が集まった時、もう楽しいことしか起きないですよ。ある意味、化学反応が最大化する瞬間だと思います。ブログを通じたやりとりでも、日々、化学反応は起きていて、私はそれを楽しませてもらっているのだけど、そのやりとりのなかでも、こういう会というのは、ある意味、究極の化学反応が起きているのだと思いました。確信しました。大いに刺激を受けました。
■one of themではなく、only oneを目指している
ここに集まった人たち。モノクロの写真にあくなき探究心でのぞむイチローさん、カメラを片手に、ネットというプラットフォームでステキに踊るモトシさん。盆栽というアナログの世界をデジタルの世界で表現しようと模索するタカヒロさん。手法を凝らした表現方法でブログの可能性を追求するジェミさん。みんな、他の誰かとは違う。自分の色を持っているし、それを突き詰めようとしている。
イチローさんが「どんな写真で自分が戦うのか」っていう話をしてくれた時、「切り捨てる」っていう言葉が出てきて、それがすごく頭に残っているのですね。自分の戦うべきステージとか、自分がどこに向かうか、自分が本当に撮りたい写真が何かとか、そういうビジョンが(イチローさんには)きちんとあって、そこに向かうために必要がないものを切り捨てる、という意味なんだと私は理解しました(違ったらすいません)。切り捨てるモノにも尊敬の念をいただきつつ、その価値についても認めつつ、でも、そこは(自分は)捨てる。捨てることで、自分のやりたいことがシンプルになっていく。認められたいと思う気持ちは否定しないが、多くの人が良しとするものが自分の望むものじゃない、みたいな、そういうことなのかな、って聞いていて思いました。私もそういう考え方なので。
SNSとか、ああいうものが全盛の時代になって、やっぱり、多くの人に見られるもの、つまり、数が多いものが良しとされる時代になってますよね。でも、だからこそ、自分は何で勝負するのか、自分は何がやりたいのか、そういうことを明確にしていくことがすごく大事で、その1つの手段としては、必要のないものを切り捨てていく、よりシンプルにしていくということはすごく大事なことだなあとあらためて思いました。
■コミュニティありきじゃない
ブログとかSNSとかの、これからのありかた、みたいな話も少しだけしました。
「わかりやすさ」と「気持ちやすさ」は、少し差があるな、と私は感じています。例えば、はてなブログのトップページに、もし、「写真」という入り口が(わかりやすく)あったとしたら。そこに参加しているブログの一覧が、だだだーっと並んでいて、まあ、1つのコミュニティのように分かれていて、「この中で仲良くやってくださいね」って、はてなのシステムに誘導されるような仕組みになっていたとしたら、どうでしょうか?
私はイヤです。そのコミュニティには入らない。「コミュニティありき」ではないと思うんです。写真という文字列からは、何も感じ取れないから。
例えば、こういうことかな。
ブログを使って、それぞれが自分のやりたいことをやりたいように発信している。それをやり続ける過程で、ふと隣を見た時に、同じように全力で駆け抜けていく人を見かけるようになる。最初は少し遠巻きに見ていたけれど、なんとなく気になってくる。だんだん気になっていく。そしたら、向こうから声をかけてきた。「あ、どうもー」みたいな。で、私も、「あ、どうも!じつは私も前から気になっていて。。。」みたいな。そんな感じで、ジワジワ近づいていって、いつのまにか、話をするようになって。そういうやりとりをしていることを、外から見ていた人が、「私もじつは興味がありまして。。。。」みたいな感じで近づいてきて。そうして、一人、二人と集まっていく。
モトシさんとは、こんな感じで近づいていった感じです。私は、ね。で、こういう「見つけ方」がなんとなく、アリなんだよなあ、と思っています。コミュニティのあり方って、こういうことなんじゃないですかね? ジワジワとできあがっていくもの。
先にコミュニティが明示的に存在するものではなくて、自然とできあがっていくもの。私はそういうものだと思っています。既存のSNSがうまくいかないのも、こういうことを無視して「コミュニティ作ればいいんでしょ?」みたいなことをいつまでもやっているからなんだろうな、と思っています。
■最後に
なんか、ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、楽しかったしうれしかったんです。いろんな話ができたことは、全部、お土産として名古屋に持ち帰らせてもらって、また、日々、ネットで、はてなで、遊ばせてもらおうと思っています。
以上。
追記1.
集まってくれた方々へ
・ジェミ師匠に書いてもらった絵は、一生の宝ものにします。というか、これ、付箋紙に書いてもらったので、さっそく、自宅のキーボードの端のほうに貼っておいたら、さっそく妻に見つかって、「何これ!!うける!(^^)」って笑ってましたことをご報告させていただきます。ジェミさんありがとう。
・モトシさん、文章が短くないと、モトシさんが読んでくれないと思ったので頑張ったけど、やっぱり長くなりました。ごめんなさい。それでも読んでもらえるように、モトシさんっていう名前をちりばめておきました。
・タカヒロさん、これからの時代、アナログのコンテンツってすごくキーになると思ってるんです。ぜひ楽しみにしていますので、ブログのほうで楽しませてください。
・イチローさんとは、ネットのサービスの話とかもっと話がしたいです。また、相手をしてください。
追記2.2016.7.28
なぜか、この日に食べたホルモン焼きの写真(本記事の上から3枚目の写真)が、海外のWebサイトで紹介されました。(2016.7.28)