■人間らしいインターネット
かなり興味深い記事。以下、引用。
問題の原点は、昔からよく言われる「1PVの価値」を算定することができないため、どんなことでもPVを集められれば正義というWebのシンプルな構造に問題があります。だから某メディアの方が、このことについて嘆いている日記を見るたびに、「いやぁ君は、そのど真ん中で戦ってるから仕方ないんだよ」と思っているわけです。
だってそれが今のWebなんだもん。
以上のこととソーシャルメディアの組み合わせで、みなさんの可処分時間が吸い取られておりまして、他の人の言葉を借りれば、段々「人間らしくないインターネット」になっていくわけです。会って数秒で結婚しました、というネタが割と究極的ですが、それこそPVを集めるために、崖から飛び降りるようなことも今後起きていくでしょう。
「人間らしくないインターネット」というワードが頭に残りました。人間らしさがインターネットからなくなっていく時、私個人としては、より人間らしさを追い求めたくなるんですよね。 人間らしい記事を読みたくなるし、人間らしい記事を書きたくなる。「一番面白いのは人間くささ」っていうのが、私の信念でもあるので。
アクセス数とかPV数とか、プロでもなんでもない私にとってはあまり興味がありません(全く興味が無いといえばウソですが)。ただ、それを目標にしていないし、モチベーションにもあまりしていない。
より、人間らしいところを狙いたい。場合によっては「それって、インターネットでやっちゃう?」みたいな、そんな、インターネットからはみ出すようなものをやったって良いと思う。みんなと同じ事をやったってつまんない。前にも書きましたが、私はひねくれ者なので。
■見つけやすさ
ネットに情報が氾濫していくと、その中から自分に必要なものを見つけにくくなる。だから、アクセスの高い記事を紹介するページが必要になり、例えばそれが「はてブ」だったりすると思うんですね。それはそれで、意味があるし、楽しむ1つのツールだと思います。でも、アクセス数だけを指標にしてしまうことで、人間らしさは抜かれていき、面白さが減っていくのですよね。私の個人的な嗜好かもしれませんが。
以下は、モトシさん(id:motosix)とのやりとりなんですが。私がモトシさんへ「はてなブログのタグ(カテゴリ)を共通化して、はてなブログ内の同じカテゴリーの記事を横断的に閲覧できるようにしてはどうか?」っていう提案をふってみたんですね。その時に、モトシさんが以下のように返してくれました。
@keisuke9498 確かにそれだと回遊性が増して見たいブログが探しやすくなりますね。ただ僕としては今の不便さも好きで発掘する楽しみはありますwでも案としては面白いですね。はてなスペースてのが今ありますけど僕なぜかあれログインできないんですよー(-_-)
— motoshi_o (@motoshi_o) 2013年4月16日
「不便さも好きで発掘する楽しみはあります」って返してくれたんだけど、これ、すごく大事なことを言ってるなって思っています。見つけやすければ、なんでもいいかっていうと違うかな、と思うんです。「見つけるためにかかる時間」「書いている人と読んでいる人とが近づいていくための適切な時間」ってあると思うんです。最速を求めることが必ずしも互いにとって幸せかっていうとそうでもない気がするんですよね。
少しづつ近づいていく、少しづつ好きになっていく。そういう時間感覚が必要な時ってあると思うんですよね。人間同士でもそういうところってありますよね?
▼なぜ今Amazonではなくリアル書店に足を運ぶのか - 自由日記
このエントリーも私には共通的な話のように思えました。
見つけやすさ、見つけるために楽かどうか、そういうことだけを追い求めていくことで取りこぼしていくものはないのか?食べログの上位の店だけに通いつめることは、じつはすごく狭いところを行ったり来たりしていることになってないか?
見つけやすさについてデザインすることの大切さみたいなものを、最近特に感じています。「見つけにくいものが持つ魅力」に気づき始めているというか。
以上。
P.S.写真の解説コーナー(笑)
写真1:鉄塔。以前紹介した変電所を、今日は別の角度から撮りました。
写真2:実家に帰ったら、おかんが「これ、捨てていいの?ダメなの?」と差し出すレコード。懐かしすぎ。中学の時(80年代前半)に聞いていたYMOとかJAPANとか。初めて自分の意志で買ったレコードたちかも。私にとってYMOは、音楽の入り口であり、コンピューターへの入り口だった。