自動運転車の話題が少しづつ増えてきた。根幹にあるのは、人工知能だという。判断を人間以外にさせるということだ。
自動車の発明、飛行機の発明、ロケットの発明...。様々なものを人類は発明し続けてきたが、これまではあくまでも操作の主体は人間だった。これからは、操作の主体がコンピュータの知能に変わる。そういう視点で考えた時、どういう印象を持つだろうか。
「通学途中の児童の列に自動車が突っ込み、幼い子供が命を落とす」という痛ましい事故は撲滅したい。そのために必要なテクノロジーは、ぜひとも使って欲しいと思う。ただし、単に「寝ていても移動できる」「酔っ払っていても家まで車で帰れる」とか、そういうことなら、ちょっと違うんじゃねーか、とも思うのだ。
技術者は性能を高めることに必死になる。「夢を追っている」ということなのだろうが、その技術が適用されるのは、我々が暮らす社会だ。実験場じゃない。
「技術力を競う」だけではなく「その技術を何に使うか」が、とても大事な時代になったように思う。
以上。