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商店街、街並み、旅先で出会った瞬間を夢中になって撮っています。名古屋。

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【時事】現場で流れていた空気は無視できない

Arc de Triomphe

■空気を作り上げているのは誰か

最近、体罰だとか暴力行為だとか、そういう事件が続いてますね。もちろん、体罰や暴力は許されるべきではないですし、度を越した人間は制裁されるべきでしょう。ただ、ある特定の人間を処罰する、見せしめにすることで「はい、おしまい」となりそうな今の風潮は、どうも好きになれません。そもそも、その人、その人間がそこにいなければそういう問題は起きなかったんでしょうか?もう少し大きな視点で、俯瞰して物事を考えないといけないのではないでしょうか?

 

スポーツの現場や学校の現場で、体罰や暴力行為が行われていた時、周りの人は何をしていたのでしょうか?学校であれば、その学校の教職員は誰ひとり、その体罰のことを知らなかったんでしょうか?同じ部活動の生徒や、同じ競技をやっている選手、コーチ、そういう人たちは日常的にその光景を見てきたわけですよね。その場所で、その現場には、どんな「空気」があったのでしょうか?ある意味、その体罰や行き過ぎた指導を黙認してしまうような、そんな空気があったんですよね。

 

現場では「勝負に勝つためにはこういう緊張感が必要なんだ」という空気が出来上がっていたのではないでしょうか?「見て見ぬふり」とは違いますよね。正しいと周りの人も思っているわけですからね。

 

この空気っていう存在が、最近のさまざまなニュースの象徴かな、って思っているんです。得体のしれない空気。よくない空気。みんな、一人ひとりが冷静に考えればもっと違った意見や考えがあるはずなのに、その現場に流れている空気に飲み込まれていく感じ。その空気の実態を把握して対処しないと、誰か一人を処罰しても、その空気って変わらないと思うんです。

 

私が言いたかったのは「悪い人をもっと徹底的に洗い出して処罰せよ」ということではないんです。いや、処罰すべき人はすればいいです。そうではなくて、体罰や暴力行為的な雰囲気が「ある大きな目標に向かうためには必要なんだ」と正当化される空気があった事実、それを認めることから始めないと、本質には辿りつけないだろうなあ、とは思います。

 

■構成する要素を一掃するという手法について

桜宮高校の件で、あるネットの記事(おそらく桜宮高校のOBか、桜宮高校をよく知る人)を読んだのですが、「教師による体罰を封じ込めたら今度はいじめによる暴力がはじまるだろう」と書いてあって。もちろん、それは1つの推測であり、意見ですけどね。ただ、私はその文面を見ながら一理あるなあ、と思いました。問題の対処の仕方を誤ると、けっきょくは変えられない、変わらないんだろうなあ、と私も感じています。全体を見た対応が必要なんです。

 

そういう意味で、多少強引ではあるけれども、橋下市長による「校長・教師を全員取替え」や「入試取りやめ」の発言については、私は一理あると思っています。ある特定の部活だけを処罰したり、ある指導者だけを処罰しても、おそらく変わらない。空気を構成していた要素って、その一人だけではないから。もっと淀んだ空気がそこにはあって、それは事件発覚後にいったん薄くなったように見えても、またすぐに戻ります。どう対処するかってすごく大事で、とても大きな痛みを伴うシステム変更が必要なんだと思うんです。

 

橋下市長の言動・行動についてはすべてを受け入れることはできないにしても、着眼点と行動力については私は一定の評価をします。だって、「校長・教師を全員取替え」や「入試取りやめ」という行為は、今までの学校関係者や教育委員会関係者の常識をくつがえす発想でしょ?でも、それくらいのことをやらなければ変わらないと思うのですよ。政治家には、そういうことをやって欲しいと思うのです。間違った考えも強引に押し切ることもできるから、諸刃の剣ですけどね。

 

■その出来事を知り、自分が何を思うのかを大事にする

今起きているさまざまな出来事に対して、マスコミは、ある特定の「個人」を「悪」に仕立て上げ、そいつを引きずり降ろすという方向へ向かう。そのほうが味の濃いニュースができあがるし、数字が取れるし、視聴者も(心のどこかで)それを求めているし、噛み合っているんだろうな。私はそれは気持ち悪いと感じているんだ。誰が悪いのか、何が悪いのかは、自分でちゃんと判断したい。

 

ネット全盛時代に突入してから、たくさんのニュースは目にするが、自分で物事を考えるという時間が減り、気がつけば次のニュースに流れていくという、そんなライフスタイルの人が増えていそうで気持ち悪い。私もうっかりすると、そうなりそうでイヤだ。ネットやスマートフォン生活がそういうことを助長しているフシがありますね。

 

ネットでニュースを見て、そのあとでTwitterやブログやコラムや、そういうのがネットに大量に出ますよね?たしかに、良質のコンテンツがゴロゴロあって読むのは面白いわけなんですけど、人の話を読んでばかりいるというのは少し残念な気がしませんか?

 

例えるなら「課題を自分で解く前に、先に答えを見る」行為に近くないですかね?常に先に答えを見る、というクセって(そればかりでは)あまり良くないと思うのです。時には出来事だけをインプットして、まず自分で解釈してみる、考えてみる、何が問題かを調べてみる、最後にアウトプットしてみる。私はそんな時間をより多く持っていたいと思うのです。

 

以上。