Sakak's Gadget Blog

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【ガジェット】五感とイマジネーション

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SONYの平井社長が、インタビューで「クラウドでは実現できない価値がある」と答えている記事を目にした。私には「SONYがやっと気づいたか」という思いがある。復活へのストーリーへの入り口へ立ったのではないか。深い沼に落ちていたSONYが、これから這い上がっていく様を見ていきたい。

平井社長インタビューから読み取る「新生ソニー」 - AV Watch

SONY平井社長のインタビュー記事。

「みなさんも理解されている通り、これまでエレクトロニクス製品に内包されていた価値が、どんどんクラウドへと移動している(スマートフォンの価値が相対的に高まっているのは、そうしたクラウドの価値へと接するデバイススマートフォンだからだ)。しかし、あらゆる価値を呑み込んでいるクラウドが、唯一呑み込めないものがある(平井社長)」

 

それこそが、五感に訴えるべき要素なのだとと平井社長は話す。

 

「音がいい、画質がいい、デザインがいい、手触りや直接見た時の質感が高い、重い/軽い。これらはハードウェアを極めなければ提供できない価値だ。そしてソニーの歴史を振り返るに、我々のDNAとして刻まれている要素でもある。消費者に感動を与える製品でなければ、プレミアム製品とは呼べない。より良い画質、より良い音質、五感で感じる価値を極めて感動を呼び起こすためには、質の高いソフトウェアも必要だ。だからこそ、ソニーグループを挙げて高品位な映像や音楽に取り組んでいく。

五感に訴えるべきものを作る。モノづくりの原点のような気がする。なんでもかんでもネットとデータで作られた何かで実現できるものが増えていくと、徐々に失われていく”実感”を、人は何かで確認したいと本能的に思うだろう。それが、メーカーが創りだす「モノの役割」なんだと思う。

 

また、SONYに関して言えば、これは入り口に過ぎない。SONYの各種サービスが、クラウドでうまく統合できているとは言い難い。AppleApple IDで、各種サービスを紐付けしているようなシンプルな仕組みを早急に整備することが必要だろう。

 

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【雑記】利便性が上がることが全てではない - Sakak's Gadget Blog

社会は、利便性が上がる方へ誘導しようとする。

でも、利便性が上がることが全てなのか?

 

手書きの文字の良さは?封筒や便箋を選び、切手を選び、宛名を書いて、封印して、ポストに投函するまでのプロセスは不要なものか?そのプロセスを経ることで伝わるものってないのか?相手に届けるために2日かかってしまう手紙は、1秒で相手に届くメールより、道具として劣っているのか?

 

紙の本の手触りは?匂いは?経年劣化して色あせていく質感は?

4インチを超えるような大きなガラスの板が、電話機として使うことに適しているのか?

スマートフォンタブレットなど、板だらけで囲まれた世界の中で、我々はどこで実感を手にすれば良いか。何に心を動かすのか、動かされるのか。そういう思いが、日に日に強くなります。

 

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Designing World-realm Experiences:The Absence of World "Users"

“風鈴”という装置のインターフェイスデザインには、一考の価値がある。風鈴の面白さは、それが、音色の美しさそのものを楽しむための楽器ではない点にあります。その傾向は日本の風鈴に特に顕著で、楽器的な性質が、海外のWind-bellよりも低いように思われます。

 

風鈴が表現しているのは、音そのものではなく、「風が吹いている」という事実です。庭に面した軒先に吊された風鈴は、暑い夏の日、軒下を流れる風の存在を伝えます。この時、部屋の奥にいる人は、「ああ、風が吹いている」と、イメージの中で涼を取る。そして同時に、数秒後には部屋の奥へ到達するその風を待ち受け、無意識に肌の感度が少し上がる。風鈴とは、五感とイマジネーションを駆使して外界の情報を享受させる、複合的な「Senseware」の好例なのです。

 単純に、懐古主義と言われてしまうとそれまでなんだけど、やはり、長い歴史の中で創りだされたモノがもつポテンシャルって小さくないですよね。「人が感じること」と「モノがモノとしてどうあるべきか」は、大きな関係性を持つ。そんなことを考えました。

 

以上。

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