”自分の良さ”、”自分らしさ”、”ありのままの自分”、そんな言葉をよく目にします。
私だけなのかもしれませんが「自分のことって、わかっているようでじつはよくわかってない」って思うんですよね。
だから「自分探しとか、自分らしさを出していこう」的な、「自分の中からしぼりだせ!」的なフレーズが私はちょっと苦手です。そういうのって、自分の中からだけで生まれてくるわけじゃなくて、外部からの刺激を受けて、自分自身がその刺激に反応していくことで、ジワジワと生まれてくる気づきだと思うから。
今日は、そんな話を書きます。
自分らしさは自分にはわかりにくい
ホームページやブログを長く続けていくことってのは、ある意味、自分をさらけ出し続けていくことだと思うんですよね。自分の良さとか自分のウリだって思うものを選び出して、ネットに流す。
そう思って私もやってきたんだけど、40代半ばを過ぎて思うのは、「自分らしさって自分ではなかなかわからないな」ってことなんですよ。
まあ、ブログに限らずですけど、自分のことって他人から見てどういうふうに見えているか(どう評価をされているか)ってよくわからないですよね。私は今でもよくわからないんですよ。
自分のことがどう見えているかなんて、結局のところ考えてもよくわからないので、もう考えるのをやめたんですよね。
そしたら、そのことが全然不安ではなくなった。むしろ、肩の力が抜けて楽になり、この2つができるようになったんです。
- 自分の好きなことをやり続ける
- 人の声に素直に耳を傾ける
「自信を無くした」というのとはちょっと違うんですよね。他人にどう思われているかを極端に気にすることもなく、自分のやりたいことに集中できるようになった。声をかけてくれる人がいたら、本当に心からありがたいと思うようになったし。
やりたいことに集中できると、自然といろんなことがうまく回るんですよね。自分を無理に実力以上に大きく見せようと思わなくなったし。そんなふうに気持ちが切り替わっていったのがここ数年の私です。
他の誰かによってもたらされる「私らしさ」への気づき
もう1つ、気づいたことがあります。「私らしさ」への気づきが、自分自身からではなく他の誰か(何か)によってもたらされることが多いってことです。
仲間としゃべっている時。本を読んでいる時。ネットでいただいたコメントを読んでいる時。写真イベントで仲間と遊んでいる時。個展を見に来てくださった方とおしゃべりしている時。新聞や雑誌などのメディアの方とやりとりをさせてもらっている時。オンライン・オフラインに限らず、そういう様々な場面で出会った人からかけていただける言葉によって、「これがもしかしたら私らしさなのか?」って気づくことが多いんです。
芸術家のような特別な人は、内面から出てくるエネルギーで新しい何かを創造できるのかもしれない。でも、私は普通の一般人です。そんな特別な能力も才能もない。そんな私は、外からの刺激というのが、私らしさを知るのに必要であり、そんな自分を変えていくためにも必要なんだなって思うんです。
刺激を受けるために一歩前に出る
自分から一歩前に出るってことを、最近は少し意識をしています。例えば、私は商店街の写真を撮ることが好きですが、一方で、(商店街の)写真を撮ることの難しさも知っています。
ここは商店の集まりです。遊び場ではないんですね。ここで働いている人がいるわけで、その働いている人の姿が、商店街の大きな魅力の一つでもあるわけです。その働いている人の姿を撮るためには、一歩前に出ることが必要になる。働いている人との距離を詰めることで、またその写真の出来栄えがグッと変わってくると思うので。
自分のカメラに向かって笑顔を作ってくれたら最高ですよね。そのために、自分が何をすべきかを、最近はよく考えています。
大事にしていきたいこと
当たり前の結論なんだけど、人のつながりってすごく大事にしたいんですよね。自分らしさに気づける、自分を客観視できるから。そして、その繋がった仲間にも私が感じた思いを届けられる。
なんだか最近は、「人の縁」を強く感じることが多かったので、こんなことを書いてみました。
以上。