▼全国各地で年賀状の配達始まる NHKニュース
私は2年前から個人的にある実験的なプロジェクトを始めた(大げさ?)。年賀状を印刷して送るのをやめて、PDFかJPEGに出力し、それをメールかSNSのアカウント宛てに送信することにした。
これについては、賛否両論があるだろう。あくまでも作り手の都合であって、受け取り手の気持ちは(ある意味)無視している。私もこれがすべての人に対して正解だとは思っていない。人に薦めようとも全く思わない。
ただ、このようにやり方を変えることで、何が起きるのか、自分は何を感じるか、試したかった。
■年賀状を紙→デジタルに変えたワケ
それは、人間関係をActiveにしたかったから。
紙1枚でつながっている人間関係って何だろう?ってずっと考えていた。この1年間、いや、数年間、ずっと会うこともなく、年賀状以外で言葉を交わすこともない関係。「元気ですか?」とだけ書かれた文面にどう返事を返せばいいか、毎年悶々としていた。つながり続けることを否定しているわけではなくて、せっかくつながり続けているのなら、Activeなやりとり(生きたやりとり)をしたいと思った(ニュアンス伝わりますか?)。
■変えてみて良かったこと
・年賀状の作成→送付→やりとり という(年賀状にかかわる)一連の作業に対するストレスが減った。
・準備期間は短くなった(数時間、大晦日の夜に文面及び個別のメッセージ作成し、日付が変わると同時に送信)。
・送信後、メッセージのやりとりが始まるので、(デジタルの)年賀状にかかわる時間としては紙の時よりも増えているが、やりとりをすることは想定内だし、うれしい。
■考えたこと、これから考えていくこと
(1)紙→デジタルに変えた「年賀状らしきもの」は、もはや「年賀状ではない」という覚悟
受け取り手から見た気持ちと、作り手が考えている気持ちとは、必ずしも一致しないと考えたほうがいい。紙→デジタルに変えることで、年始のやりとりが途絶える人も中にはいるだろう。その覚悟は必要。覚悟の上で、私はやっている。
(2)「リアルの住所」と「ネットの住所」、それぞれの持つ意味
リアルの住所を知っているということ、ネットの住所(メール、アカウント)を知っているということ、それぞれの意味合いが違う。作り上げている人間関係の種類が違う。
片方しかしらない人、両方知っている人。どちらにも大切な人がいる。おそらく使い分けが必要というとになる。ただ、逆に言えば、どちらにも大切な人がいるのだから、「リアルの住所を知っているだけのやりとり」に全力を注ぐという雰囲気は、これから少しトーンダウンしていくように思う。無くなったりはしないと思うが。
(3)「年賀状」はツールではなく慣習
紙の年賀状は、人それぞれ求めていることが違う。そこが難しい。一方的に年賀状を「出す・受け取る」は遠慮したいと思っても、相手が出してくれば断りにくいし。ある意味、一方通行のメッセージしか送信できないのに、出すか出さないかの選択権は自分にはない。人に合わせることが前提のツール。
いや、ツールではない。年賀状はツールというより慣習なんだと思う。だから残る。 年の始めの忙しい時に「やりとり」なんかやってられねーよっていう意味もその年賀状という慣習には込められているのだろう。やりとりする手段が存在していなかったネット以前の時代なら、その理屈はわかる。でも今は違うよね?
私がやったことは、受け止め方次第では「年賀状という慣習をやめて、メッセージのやりとりに変えたこと」と同義なんだろうな。そう思われても仕方がない。でも、今のところ、私には後悔は全くない。
■まとめ
いろいろ感じるものはあったが、私は当分、今の(デジタルの)やりかたで行こうと思う。受け取り手はいろんな思いを持っているだろうが、当初の目的である「人間関係をActiveにしておきたい」が、私は実現できたから。
みんな私のようにすれば良い、ということではなくて、年始の挨拶のスタイルはもっと多様化しても良いと思った。人それぞれ、人との距離の取り方も違ってあたりまえ。
今年はブログをやっていたので、ブログ上で年末年始で挨拶のやりとりができたことはすごく印象に残った。楽しかった。
以上。