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【時事】授業で社会のルールやマナーを学べるか?

Kin No Tokei

■はじめに

公共の場所でのルールやマナーについての話です。要点は2つ。

 

1つ目は、私が公共の場所で遭遇したある家族の話を例にとり、そもそもルールやマナーの(各個人の)常識というのはどこで作られるものなのか?を考えてみる。

 

2つ目は、高校の授業に「公共」という科目を追加しようとする話が出てきたが、授業で社会のルールやマナーを学べるか?という話。

 

この2つの話ですすめます。

 

■公共の場所で遭遇したある家族の話

レストランで遭遇したある家族の話。

 

私たち家族が食事をしているお店に「20代後半くらいのママ」「0歳児(ベビーカー)」「20代ママの実妹?(大学生くらい)」の3人が入ってきた。

 

20代ママは飲み物の注文だけして、店から出て行った。自分の用事を済ませるために近くに買い物に出かけたようだ。残された(実妹の)女子大生はテストの勉強がしたかったらしい。レストランで勉強を始めた。残された0歳児はどうするのかな?と見ていたら、なんと、ママの携帯端末で「しまじろう(子供向けアニメ)のビデオ」を見せられていた。しかも、そのビデオの音量が、店のBGMの音よりも大きかった

 

その後、10分くらいして子供が泣き出し、止まらなくなったところで、実妹から呼び出されたママが登場。抱っこして相手をするか、店から出すかするのかなと思ったら、なんと、自分のカバンから、さらに画面のでかい(iPad miniくらい)の端末を出して、その画面で「しまじろう」を再投入。苦笑いするしかない。(ってか、うるせーよ。)

 

ますます、この家族の行動から目が離せなくなった。というか、落ち着いて食事をしようにも気になってしょうがない。

 

子供がくずったり、泣いたりする意味は、お腹が空いたとか、かまってほしいとか、そういうサインでしょ?そのサインの答えが「端末でアニメを見せて泣き止ませる」っていう子育ての方針については、いろいろ言いたいことはあるが、今日はやめておく。それよりも。私は非常にプライベートな公共の場所で耳にした「とても個人的な都合で鳴っているビデオの音」にとても大きな違和感を覚えた。

 

私の違和感の理由は「音量ではない」。「何の音なのか?」ってこと。「何でそういう音が出るのか」ってこと。子供の泣き声の音量が一時的に大きくなったとしても、お母さんが必死に泣き止まそうとする姿を見れば「ああ、泣いちゃったね~。退屈になったのかな~。」って思って、見過ごせるのですよ。私も幼稚園児を連れているので気持ちはよくわかるんですよ。赤ちゃんの鳴き声だったら、(個人差はあるでしょうが)私の場合はやり過ごせたんですよ。

 

公共の場所というのは、周りの人が「何の音か」をちゃんと見ていて、その「何か」によって、違和感を覚えたり腹を立てたりしているんだな、ってこと。ここ大事です。

 

「音の大きさ」は数値化できるから、ルールで規制したりできるかもしれないけど「音の種類」とか「何の音か」っていうものをルールで縛るのは難しいですよ。でも、みんなが気持ちよく公共の場所で過ごすには、ルールを作るだけではない、「公共の場所でどういう意識でいるか」っていう部分の歩み寄り(コミュニケーション)が大切なんですよ。

 

それにしても「しまじろうのアニメ(音付き)」で子供を放置、しかも、子供が泣いたら、さらに別のビデオを見せるとか、それは見過ごせなかったですね。良いとかダメとか、そういう話ではなくて、公共の場所を「まるで自分の家のように使う」という、公共の場所に対するハードルの低さの根源は何なんだろう?っていうことを考えてしまいました。

 

けっきょくその店にいる間、私たち家族は、ずっとこの事を気にして食事の時間を過ごすことになりました。腹を立てたというより「呆れた」ということと、「あの家族の常識はどこからくるのか?」という妄想ネタを私はお土産に持って帰ることになりました。

 

Nagoya

■公共の場所に対するハードルの低さの根源は何か?

2つあると思っています。

 

1つ目は「子供が小さいのだから仕方ない」という、常識外れの考え。

2つ目は「自分がそもそも、そういう家庭(環境)で育ってきた」という話。躾(しつけ)とか、親や兄弟の「人となり」とか、そういう話です。

 

2つ目の話を少し書きます。

 

公共の場所で、ルール違反やマナー違反を起こす人の場合の多くは、そのマナーやルールを知っていたかどうかという話ではなくて、そもそも、「自分の常識が社会の常識」と考えているわけですよね。子供ができれば「保護されて当然」という特権が与えられると思っているのも、そういう家庭環境で育ったから、という理由も大きいと思っています。

 

で、そういう公共の場所でのルールやマナーっていうのは、親が子供に真っ先に教えるべき話であるとともに、学校や友達とのコミュニティや、そういう社会生活を通じて、成長過程で体に刷り込まれていくものですよね?体に刷り込まれて、そういう公共の場所で、どういう立ち振る舞いをすればいいか、っていう常識が出来上がっていくのですよね。

 

子供にとって、親や家族から受ける影響はすごく大きいと思います。親が教えたか教えていないか、ではないです。子供は親の背中を見て育つ。感じ取っているんです。公共の場所で、自分の親がまっとうに振舞える人だったら、それを見て育つ子供が非常識にはなりにくいと思うのです。

 

今回、話に取り上げたママさんは(私の想像では)その親や家族がそもそも「公共の場所に対するハードルが低い」のだろうなと思いました。体に刷り込まれているんだろうな、と。今さら誰かがそこに注意をしても、態度を一時的に変えることはできても、常識を入れ替えることは難しいと思う。自分自身で何かを感じなければ。

 

残念ながら、その0歳児の赤ちゃんも、そういう親に育てられて、この先、社会に出てくることになるわけです。

 

そういう負の連鎖みたいなものを断ち切るには社会としてどうすれば良いかを(我々は)考えたほうが良い。電車のマナーとか、公共の場所でのマナーとか、そんなものをポスターを貼って啓蒙活動をすることがどれだけ意味があるかな?ってかなり疑問です。そもそも、ちゃんとできる人ってたくさんいるんですよ。一部の非常識な人が、騒ぎをおこす。その非常識を、少しでも変えることができるかどうかがポイントなんだと思っています。

 

Station

■高校の授業で社会のルールやマナーを学べるか?

▼高校に新科目「公共」社会のルールやマナーを学ぶ : ナイロニュース7

自民党のプロジェクトチームは、高校の科目のなかに、社会のルールやマナーを学ぶための 「公共」という新科目を設置するとした提言を取りまとめました。 

 

このなかでは、まず高校での学習内容と実生活で必要とされる基本的な知識や規範意識との 間では乖離(かいり)があると指摘しています。このため、高校の科目に、結婚や家族、金融や投資といった消費生活、税や社会保障、選挙などを学習内容として盛り込んだ公共という新科目を設置することを明記しました。

 

公共には、弁護士などの社会人や大学生を講師に招いて討論することや、ボランティアなど体験活動も学習内容に盛り込む方針で、6年後の学習指導要領の改定で取り入れることを目指しています。

私は、社会のルールやマナーを「教える」ことは難しいと考えます。つまり、20代のママさんのように、非常識が常識として育てられた人が、授業で「公共の場所ではこういうルールがあるんですよ」って教えられても、響かないし変われないと思うのですよ。

 

では、どうすればいいか?

 

「教える」のではなく、「体験させる」「感じさせる」だと思うんです。この記事にもありますが、ボランティアや体験学習は意味があると思っています。もっというと、お金を稼ぐことをさせれば良いと思うんです。高校生といわず、小学校の高学年くらいから、どんどんやれば良い。もっとはやく、社会に接することを体験させれば良いんですよ。

 

いくら稼ぐかは問題ではない。とにかく、1円でもいいから自分が働いたことでお金を手に入れるということを仕事を通じて体験させる。これが社会に接するってことなんだと思うんですね。その時に、その仕事をするうえで、いろんなことを考えると思うんです。仕事を成立させるために、人とコミュニケーションをとらないといけないし、商売だったらお客さんの視点になって、想像力を働かせないといけない。そういう体験を通じて、社会のルールやマナーを自然に学んでいけばいいんじゃないですか?

 

というか、そういうことでしか、学べないんじゃないですかね?

 

「お年寄りには席を譲りましょう」とか「車椅子の方がいたら手伝いましょう」とか、そんなことくらいだったら、ポスターにだって書いてありますよ。そんな「言葉」だけだったら授業の意味なんかないですよ。もっともっと、感じさせることが必要で、それを大人は子供たちをアシストしてあげるべきですよ。

 

「非常識が常識として育てられた人」が、唯一変われる可能性があるとすれば、これだと思いますよ。自分で感じること。感じたことで「今まで自分の家庭内で常識だと思っていたことが非常識だったんだ」と気づける数少ないチャンスですよ。そんなチャンスを作れるのなら、すごく意味がありますよ。

 

■おまけ

今週のはてなのお題は「シルクエビス」でしたよね?(笑)冗談です。(okkoさん(id:okko326)のこの写真へのオマージュ)

SILK_EBISU

以上。

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