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【時事】大津市で起きたいじめ問題の本質を考える

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■メディアは悪玉をまつり上げ、叩きたいだけ

大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題。

 

こういう事件が起きた時に、マスコミやネットメディアは、悪玉を徹底的に潰す方向に動く。加害者、隠蔽しようとした学校・教育委員会。もちろん原因を追求して明らかにすることは大事だ。法を犯した人は、罪を償うべきだ。

 

しかし、事件が収束し、それぞれの責任の所在が明らかになったら、メディアは一気に引くだろうね。いつものこと。ニュース性が無くなれば、あるいは、もっとおいしい事件が起きれば、そちらに移行する。何もなかったかのようにね。

 

事件の当事者達をまつり上げるだけで終了してしまっては、けっきょく何も変わらない。事件の本質を考え、必要ならばそこを変えていかないと、何も変わらない。

 

■事件の本質を考える

これについては、さかなクンの記事(2006年)が本質を突いていると私は考えているので紹介したい。

いじめられている君へ(朝日新聞) /東京海洋大客員助教授・さかなクン

 

さかなクンが指摘しているように、「小さな世界に閉じ込めてると、なぜかいじめが始まる」。つまり「いじめはなくならない・なくせない」ということ。その前提で、いじめについて考えることが必要だと私は思う。

 

誤解を恐れずに言えば、いじめられること・いじめること、という体験は必要だと思う。それは例えば、幼稚園や保育園の頃から徐々に体験すべきなんだと思う。いじめる、という言葉の定義が人によっていろいろあるので、難しいが。少なくとも、事件になるようないじめのことを指しているのではなく。

 

いじめをやったり、やられたり。いじめをやった人と距離をおいたり、いじめをやられた人に近づいて、手をさしのべたり。

 

学校という狭くて窮屈なコミュニティの中で、人との距離の取り方を体験する。時には、トラブルにも巻き込まれながら。それこそが、学校が果たす大事な役割の1つなのではないだろうか。

 

繰り返しになるが人の命が消えてしまうような、そんな事件が学校で起きてはならない。だが、人として強くなるために、さまざまな体験は必要だ。

 

この事件は、小さい子供を持つ親としては、いろいろ考えさせられる。

 

以上。