■価格というサイン
▼ものの値段が安すぎる! - 24時間残念営業
考えさせられる記事。商品やサービスを提供する側の話がストレートに書かれており、非常に興味深い。私は商品やサービスをお金の代わりに手に入れる側(消費者)の立場だが、常日頃から、効率化を求めつくしたその先の未来に不安を感じていた。
価格というのは1つのサインだと思う。我々が、それが何かを知ることができる唯一のサイン。だから、絶対に見落としてはいけない。
安すぎる食べ物とか、安すぎる服、安すぎるサービス、「安い」という言葉に飛びつく人が多いのかもしれないが「なぜ安いのか」というカラクリを見抜く想像力を失いたくない。原価とか管理費とか販売員の人件費とかを想像してみて、ではどこをどうすればそんな価格にできるのか、とか。
Twitterでお友達もつぶやいていたけれど、ユッケの食中毒の問題も、格安バスツアーによる事故も、ペニーオークション詐欺も、みんな、サインを出していたんだよね。価格というサインだ。そんな価格になるわけがない、と知るすべはあった。
■安さを売りにすること
特に、食べ物について、消費者の我々はわからないことが多すぎる。原材料の種類、調達先、鮮度、調理方法、誰がどうやって調理しているか、等。だったら、最後は価格を通して想像するしかない。そんな価格でできるはずがない、と自分で判断をするしかない。そういう冷静さが必要なのだと思う。
私は、基本的に「安さを売りにしている店」は警戒する。絶対に行かないとは言わないが行く気がおきない。価値観は人それぞれで、どこの店を選ぼうが自由だけど。
アウトレットモールって、たまに行くのだけど、買うことを最初から決めていったもの以外はほとんど買わない。見るだけ。見るのは好きなので。「いつもより安く売っているから、買っておこう」というものって、けっきょく買ってから使わなかったりするよね。それは、買いたかった買ったのではなく、安さにつられて買っただけだから。「欲しいから買った」との違いは大きい。
■効率化を追求した先にあるもの
これから小売店(スーパー)は、みんなコンビニになってしまうのではないかという心配がある。電気屋は多くがネットショップになる。大型電気店は淘汰されて、最後に2つか3つくらい残るかもしれないが、店頭は店員の数が激減し、いてもバイトやパートになるんだろう。
安さを追求するということは、効率化を加速させることであって、その先にあるのはなんだかすごく無機質な未来のような、そんな気がする。
魚は魚屋さん、肉はお肉屋さん、パンはパン屋さん、本は本屋さん、文房具は文房具屋さん、昔はそれが当たり前だった。専門職だ。それぞれの店に特徴があって、職人がいて、その店のコダワリみたいなものがあって。それがイオンになりコンビニになり、1箇所に固まって、値段も安定して、便利でしょ?豊かでしょ?っていうのが今の時代。
昔のような時代に戻りたいとか、そんな懐古主義的な話をしたいわけではないが、40を過ぎた今となっては、魚屋さんやお肉屋さんやパン屋さんや本屋さんや文房具屋さんや、そういう専門の店でしか味わえない雰囲気って、あるよな、そういうのは必要だよな、とひそかに思う。
以上。