▼誰も君のことなんか見てない。 – CNTR
とてもキャッチーなタイトルだったのだけど、なんか心にすっと入ってくる記事だった。少し長めの記事だけど、あっという間に読めるし、非常にオススメです。
引用開始:
後輩やインターンで来てくれた子には、まず最初に伝えている。
アイデアを出すのが恥ずかしいとか、自分のデザインを見せるのが恥ずかしいとか、
自分の夢を語ることが億劫だとか、何かにつけて自分という存在の見られ方を強く意識してる子が多い。
だから、僕は最初にこういう
「誰も君のことなんか見てない。」
君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。
自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。
忘却と無視の繰り返しだ。だったら何したって怖くはない。
ただ自分の素直な表現や言葉を出せたとき、必ずそれを評価してくれる人がいる。通じる人がいる。
100回勝負して1回でも目を向けてもらえたら、君の勝ちだ。
1回も勝負しないでビビる必要はない。誰も君のことなんか見てないから、今のうちに自由に踊るべきだ。
:引用終わり
人は、自分がどう見られているかを強く意識し、自分をよく見せようとする。そういう側面があるのは当然だ。リアル社会で生きていくために。
ただ、ここぞという時に、自分を出せるかどうかで、その後の人生が大きく変わるだろう。
意識の持ち方の話だ。
自分を出すためには「どう見られているか」ではなく「誰も自分なんか見ていない、好きにやればいい」という、(ある意味)吹っ切れた感覚を持つことが大事だ。それができた時、その人の感性は研ぎ澄まされるだろう。
ネット上でにぎやかなSNS(Facebookなど)は、この話とは全く逆だよね。「自分がどう見られているか」を強く意識しながら、その空気に合わせたコミュニケーションを行うサービスに思える。
人間は我々が思っているより、もっともっと面白い。Hatena Blogを見ているとつくづく思う。面白い記事が次々に投稿されてくる。
人にどう見られているか、何を期待されているか、ではなく、「何を書きたいか」に集中できる人ほど、ブレがない。研ぎ澄まされた感性に触れることができる。
ネットとリアル社会って、どう使い分ければいいのだろうか?
リアル社会では「本音」と「建前」を使い分けて生きていて、おそらくそれは今後も変わらない。
だったら、ネットだけでも、本音で生きたいじゃん?と私は思う。
人の目なんか気にせずに、とにかく自分が良いと思うものを、自分からアウトプットしていく。やればやるほど(勝手に)力が伸びていく。テキストでも写真でも音楽でも動画でも、なんでも良い。ネットはそれが誰でも簡単にできるプラットフォームだ。素晴らしいじゃないか。
(繰り返しになるが)本当の自分を出せた時に、その人の感性は研ぎ澄まされる。その人の新たな人生がそこから始まると言っても良い。
以上。