「写真を撮ること」と「プリントすること」について、思ったことを書きます。
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子供の頃に使っていたカメラが出てきた
昨年末に、実家に帰った時、なんとなく話題がカメラの話になった。
私「そういえば、昔、俺が子供の頃に使っていたカメラなんてもうないよね?」
父「あるよ・・・」
そういって、自分の部屋に戻り、しばらくしてからこの2台のカメラ(OLMPUS-PEN S 2.8とPENTAXの何か)を持ってきた。このOLMPUS-PENは見覚えがないけど、PENTAXのほうは記憶の片隅に残っていた。そうだ、たしかこのカメラで親父は俺を撮っていた気がするな、と。
俺が子供の時って、、、、それが、うちの息子と同じ幼稚園児程度だとした場合、今から40年~45年とかそんな前ですよ。へたしたら50年前ですよ。その時に使っていたカメラがとつぜん目の前に現れて、私はちょっと面食らった。
中古カメラ市に行けば、こういうのがゴロゴロ転がっていますけど、なんというか、自分を撮っていたカメラとなると、また思いがずいぶん違うなあ、と。
写真を撮ること
フィルム(アナログ)が良い!デジタルが良い!とか、そういうことを今日は言いたいのではなくて。
今、私がやっている「写真を撮る」という行為を、親父やおふくろが(私が子供の時にも)やっていたんだっていう事実。それが、理屈じゃなくて、実感として伝わってきた。カメラを触りながら、なんか、じーんときた。
道具の種類の話ではなくて「写真を撮る」っていう行為はやっぱり凄いな、とあらためて思った。
世代を超えて、写真を撮ることを人はみなやっている。そして、これからも、これからの時代の人も写真を撮ることはやめないんだろうな。写真を撮るという行為がすごく魅力的な何かなんだって思う。
プリントすること
それとね。プリントされた写真ってやっぱりすごいです。
40年以上前の、私の写真が残ってますもん。フィルムカメラで撮影した私の子供の頃の写真が、アルバムに入れられて、今、私の目の前にありますもん。
私が幼稚園児の時に遊んでいたおもちゃ、着ていた服、住んでいた家、そういうものって基本的にもうないわけですよね。でも、写真だけが最後まで残っている。
今から40年後に私の息子が手にしているのも、やっぱりプリントした写真なんじゃないのかなって思えてくる。
プリントした写真のもつ力というか、写真に宿る命というか、なんか本当にすごいと思った。デジタルデータとはまた全く別の何か。どちらが良いとかそういうことではなくて、ね。
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もっと写真を撮りたくなった。もっとプリントしたくなった。
以上。