■それでもFacebookは知っている
Facebookからプロフィール情報を根こそぎ削除してから数カ月。
それでも消えない「知り合いかも?」の表示。
「なぜ、お前(Facebook)はそれを知ってるんだ?」と聞いてみたいくらいな、従来どおりの精度の高さ。共通の友達の人数の高い順に出してきているのかな、とはすぐに気づくが、それでも苦笑いするしかないね。日頃、交流している相手のメンバの出身校が共通していれば、私自身の出身校、その卒業生を推測するのも、彼(Facebook)ならたやすいだろうしね。
つまり、プロフィール情報を空っぽにしたって、Facebook内で交流をスタートする限り、ある程度の趣味・思考の情報をFacebookはつかんでいるっていうことだ。
■プライバシーの問題はギブ&テイクで考えるしかない
SNSやネットサービスから恩恵を受ける(便利に使わせてもらう)というテイクに対して、我々が「何をギブしているのか」をいつも意識しておく必要がある。お金をギブしていないのだから、何か別のものをギブしているわけであり、それが「プライバシー情報」(登録している情報及びサービス上の活動ログ)であることは明白だ。
それがわかっても止められないけどね。使ったほうが便利であったり、楽しかったりするからね。
SNSに対しては、使う側は「これ(プライバシー情報)を差し出すから、その対価としてこのサービス(SNS)を使わせてもらう」という視点で常にいることが必要だ。プライバシーを吸われて保管され、その情報を(SNS内で)二次利用されたことに対して、「気持ち悪い」「勝手に使うな」などと言う人は、「使うのをやめる」か「吸われて困る情報を載せない」の二択しかない。
そういう仕組み、そういうツールなのだ。
■Facebookのプロフィール情報
プロフィール情報についても、(当たり前だが)ギブ&テイク。
その情報を使って、Facebookのシステムからのサービスを受けたいと思えば載せれば良いと思う。載せることが悪いなどとは言わない。「こういうことは載せない方が良いですよ」などとも私は言わない。
ただ、私は個人的に、Facebookにプロフィール情報を載せて(ギブ)、その見返りでFacebookから受けたいと思えるサービス(テイク)が何一つなかった。そんなことは期待していない。なので、ことごとく消した(入力をやめた)。
私にどんな趣味があるとか、そういう類のことは私の友人なら知っているし、何年に学校を卒業したかについては、同窓生なら(自分と)同じだから言う必要はないし、別の場所で接点の合った友人に、自分がどこの学校を何年に卒業したのかを知らせたいとは思わないし、Facebookにギブして彼らから何かをテイクしたいとも思わない。
ただ、それだけ。